目次
7.悟りの極致は「解(ほどけ)」自由人になること
―― ときに和尚さんは、どこで、どういうお仲間方とご一緒にお暮らしですか。
良寛 やはり庵(いおり)を結んで、ひとりで住んでおります。
―― はあ、おひとりで。しかし、近くにはお友だちがいらっしゃるんでしょう。
良寛 まあ、歩いて四里も行けば、人は住んでおるがのう。
―― 交際(つきあい)はされているんですか、それとも、やはり人嫌いですか。
良寛 まあ、あんまり好きではないな。まあ、ときどき会う人と言えば、さっきも言った芭蕉さんね――。まあ、道元先生とはたまには会うが。
―― この方は偉い方で、なかなか肩がこるでしょう。
良寛 ハハハ、あなた、言いにくいことを言わせますな。
―― この人は貴族出ですからね。
良寛 くわばら、くわばら。いや、道元さんのお名前で本を出していただくのに、ねえ、殿(しんがり)を勤める私がそんなことを言ったのでは、罰が当たるかもしれません。
―― 禅宗には偉い方が多いですね――。
良寛 まあ、偉い人は多いが、まあ、何て言うか、禅宗には自由人が少ないのではないのかのう。「仏」になるということは、まあ、「解(ほど)け」ることだとよく言うが、解けるとはどういうことかと言うと、結局は自由人の境涯になるということじゃあないのかの。ところが、どうも「仏法」を学んだ人間は、自由人にはならず、不自由人にばかりなっておる。どうも、あれはしてはいかん、これはしてはいかん、戒律というのがあっての。――あなたは、自由人かの。
―― いやいや、そうじゃないですよ、ご承知のような世界に住んでいるため、なかなかそうはいかんのですよ。
良寛 不自由人かのう。
―― 残念ながら、不自由人ですな。まあしかし、老荘の教えによれば、「無為自然」ということで、毎日毎日目標を追って、それだけで生きているんじゃいけない、と。たまには一服して、ひと休み、自然の大気のなかに身を横たえるとよい。そこに観(み)えるものは、汝の求めていた目的地そのものの世界が現出しているだろう。という教えであると思いましたが、まあ、こういうことから、私たちも、毎日、忙しい忙しいとあくせく動き廻っているようなことではいけない、ということになるのですが。
良寛 まあ、あなたは、一番遠い境涯かもしれない。あなたは忙しい方だからな。
―― 私は忙しいなかにも、何とか"忙中閑日月"の余裕を見つけたいと思っているんですよ。蕨(わらび)でも採りに行くとか、俳句でも吟(よ)んで余裕を生み出したい、と。
良寛 いや、あんたはそんな余裕を持てば、ぼけ老人になりますよ。やはり、若いときからの精神修養が大事なんであってね、そりゃね、いきなりそういう境地に達すると、これは痴(ぼ)け老人というのです。ま、そうならぬようにせねば、まあ、忙しく人生を生きて来た人は、忙しく閉じたほうがいいのじゃないかな。今さら急に気を抜いてですな、寝そべって、空ばかり見ていたんじゃあ、頭がおかしくなる。まあ、努力の教えも大事ですよ。
老荘思想は、あなた、主流かと言やあ、やはりそれほど主流じゃあ、ありませんよ。やはりどっちかと言うと、まあ、外(は)ずれた人が多いな。まあ、彼らにしてみりゃあ、何度も何度も転生輪廻をさせられて、こりゃかなわんと、ま、ストライキだな。まあ、言ってみりゃあ、現代的に言ゃあ、ストライキですよ。老荘思想というのはね。あなた、あんまりよく考えちゃあいけないよ。
―― 私もストライキ打ちたいぐらいですよ、こう酷使されるとね。
良寛 いや、ストライキですよ。いや、放っといてくれと、もうこの身、このままもう悟っとると、もう何もいらん。「手まりつきつつその日暮らしつ」。悟るんじゃ。
―― そういう気分を持って、心にゆとりを持ちたいと思っております。
良寛 でも禅もね、禅のことを悪く言う人もおると思うんだが、私しゃ、いやいいところもあると思うんだ。やっぱりな、忙しい現代人を見とるとな、やっぱり奴らはかわいそうだな、現代に生きて現代を知らん。やはり時代を超えることができない。まあ、どんな時代でも、それなりのいいことはあるが、まあ、時代を超える。その時代に生きながら、時代を超える。ということはね、この時代を超えるというのは、決して進歩を言っているんじゃないよ。
時代を超えるということは、その時代のなかに生きながら超然として生きるということなんだ。良寛などというのは、まあ、老、荘の時代に生きとったっておかしくないし、古代に生きとってもおかしくないし。道元さんの弟子じゃったら、道元さんは、私を破門したじゃろうのう。まあ、あなたも人生にくたびれたら、書物の一冊でも持って、山に篭(こも)ることだな。
―― そうですね、そういう余裕を持って生きねばいかんですね。
良寛 だれのための人生かわからなくなってくるからね。
―― 今のところは、仏のための人生になっていますよ。
良寛 仏のための人生か、まあ、ただね、あなたの個性だけは失っちゃいけないよ。やっぱり、他人の人生じゃないから、自分の人生だから。そのなかで、自由人としてね、生きる部分はつくらないと、他の人のために一生を棒に振ったというあなたでありゃあ、そりゃあ淋しい人生ですよ。
だから、もちろん、人間は、他の人のためにも生きなければいけないけれど、まあ、他の人のために生きているなかにおいて、やはりどこか自由人であるという必要があると思う。禅というのは、結局、自由人を。つくるための方法だと思うんだな。人間生きているうちに、ま、山のなかにでも篭ればね、それはひとりっきりになれるけれども、まあ、普通に生きているうちは、人間というのは、「人の間」と書くように、人の間で生きていかにゃあいかん。ただ、人の間で生きていながら、自由人を味わうことはなかなかできん。
禅というのは、そういう思想のための自由人となるための心の空間をね、提供しているようなものだ。だから、ネクタイをぶら下げて、汗流して、きついワイシャツとかいうものを着て、それでもって会社に行っとる連中にはね、私は、禅を勧めたいね。むつかしい書物は、皆んな、よく読んでおるよ。だけど、読んでおっても、自由人にはなれない。縛りつけるだけでね、いろんな知識でね、まあ、愚にもつかない知識をいっぱい集めるよりは、ほんとうにいい古今の東西の聖賢の書でも一冊持って山に入るほうが、ずっと有益だと思いますよ。
8.恋は人生の永遠のきらめき
良寛 たいした話ができなくて大変恐縮をしておるのですが、残り時間も少なくなってきたようで、何か、せっかくお招きをいただいて、もう、あんたは二度と私を呼ぶということもなかろう。たぶん呼ぶことはなかろうと、分からぬほどの私でもない。
―― まあ、そちらへ行ったら、またごあいさつに回るかも分かりませんが……。
良寛 まあ、そのときは入れてやらないよ。私しゃ、人間嫌いだからね。まあね、他に何か聴きたいことでもあれば、言っておきますがのう。こういうことでは、内容では、出版社がウンと言わんかのう。
―― それは関係ないですけどね。それはまた。それはそれとしての、またお教えがあるわけでね、これだけしかないというわけではないですから。現代人には、もっとおおらかな明るい希望が持てるような、教えがあってもよいと思いますよ。
良寛 まあ、現代の人はいろんなことに縛られて、かわいそうだと思います。まあ、青春の時代ぐらい解放してやりたいね。それも、勉強勉強でどうも追いまくられておるようで、それだけで終わればいいんだけど。ところが、会社に入れば入ったで、また、仕事仕事で追いまくられてかわいそうだね。
私しゃ、今生まれ変わってやりたいことがあるかっていうと、二つだけあるね。ひとつはね、やはりこれはと思うような絶世の美人で、風流を解する人と出会って、若い二十代に、燃えるような恋を一回やってみたいな。これはやってみたい。これは、永遠の人生のなかの「きらめき」だからね。こういうことはやってみたいな。
―― そういうことは、皆んな思っているんですよ。いるんだけれど、なかなかそうは問屋がおろしてはくれませんのでね。
良寛 これだけはね、次回出るときは、ひとつしっかりと計画して行きたい。行きたいと思っておりますがの……。あなたは、次回はおひとりで出られるのかの。
―― いや、何んだかまた、また、連れて行かれるようだけど、私はもうごめんこうむりたいと思っているんですが。
良寛 まあ、燃えるような恋をしてみたいというのがわしの希(ねが)いのひとつ。――二つ目は、そうじゃのう、まあ、美味(おい)しい味噌、醤油がいつもあるようなところで飯(めし)が食いたいのう。山のなかでは、味噌、醤油に不自由したんでのう。うまい味噌、醤油、味噌屋か醤油屋に生まれるしかないかのう。うまい味噌、うまい醤油だけあればいいわ。飯もな。まあ、うまいものがありゃあいいが、欲は言わん。
―― あなたは、その頃はどんなものを召し上がっておられましたか、ご飯は。
良寛 やあ、あるとき、あるものでじゃ。あるときありあわせでな。いろんなものを持って来てくれたから、そのものを食べておっただけ。ま、米どころだから、米もあったがな、もちろん、それはそうですよ。うんまあ、うまい味噌と醤油、きれいな若い女性、わしゃ、これだけで十分じゃ。
それから、最後にあなたに助言しておきたいんだが、まあ、あの世の世界というのは、この世でこういう生活がいいと思っているような生活になるから。この世で、今自分がしている生活を是(よ)しと思っているなら、あの世へ行っても、必ず同じような生活をしますぞ。必ず同じことをしますぞ。あなた、あの世には原稿がないと思ったらとんでもない間違い、あの世でも、本を一生懸命書いている人がおるんです。あの世でも締め切りがあって、つつかれているんですぞ。あの世でも、売れ行きとは言わんが、本の評判がいいか悪いか、いろいろと言われております。
この世限りと思えば大きな間違い、あの世へ行けば、また同じような仕事がある。まあ、そういう意味では、この世で、まあこんなものでいいわという生活の見切りをつけておくんですな。まあ、いずれにせよ、この世に出て、御座(ござ)って、人びとに"法"を説こうなどと、まあ、よく思いつかれることですな。
―― 如何なる星の巡りあわせか、好むと好まざるとにかかわらず、私ごときがこうした大きな仕事のお手伝いをさせられようとは思ってもみなかったことですが、これももうお上(かみ)の仰せ、ご命令とあれば、いたしかたございません。そっちのお上はきついですからね。地上のお上(かみ)は、まだ言い訳もききますけれどもね……。
良寛 まあ、私しゃ、あんたらのことは、十分知らんが、まあ、あの世の先生も多いこと多いこと。多いようですのう。じゃが、わしのこの話も、本にしてくれるよう、一つ頼むぞよ―。
―― 本日はどうもたいへんありがとうございました。