目次
(1987年1月29日の霊示)
1.心の法則はわが教えのなかの中心であった
さてきょうは、心の法則ということで話をしたいと思います。
まあ心の法則というのはいわばね、私の教えでいうと中心に当たる部分でもあるかと思いますね。私の場合、教えがあまり多すぎて、なにが中心だかわかんないですけれども、心の法則というのは、教えのなかのひとつの中心であろうかと思いますね。
私の一生というのは、ようするに人間の心を探究してきた一生であったわけですけれども、私自身が科学者でもあったために、心の法則というものにひじょうに関心を持っておりました。
そして心というものを、どうやって物理学的にも、説明がつくかどうかね、こういうことをひじょうに関心を持ってみていました。科学者の目で見ておったわけです。
そうすると私は、いくつかのことに気がつきましたね。
やはり心のなかにも心の作用に対してのいわゆる科学的な法則が、あるていど妥当しているのではないか、当てはまっているのではないかということに私は気がついたわけです。
2.物理学の作用・反作用の法則について
たとえば物理のなかの法則で、初歩の法則のなかに「作用と反作用の法則」ってのがありますね。ま、ザーッとおさらいをしてみます。
主婦のみなさんがたは作用・反作用といっても頭がボーッとしてわからなくなっておるでしょうから、わかるようにかんたんにおさらいをしてみます。
たとえば、あなたがたが手でね、壁を叩くと痛い。手でパチッと叩くと痛いですね。イテテテッていうわけですね。
なぜ痛いかってね。手で叩いたから壁も痛い。壁も痛いけど壁も叩き返してくるから、手が痛いと。まあこうなるわけですよ。
つまり壁に加えたと同じ衝撃力をこんどは、壁が自分の手に加えておるわけですね。まったく同じ強さの力が働くのです。
ですからサッカーのボールを蹴ればね、足も痛いけど、ボールも痛いのですよ。ボールが痛いだけ足も痛いと。なるべく足が痛くないようになかに空気をいっぱい詰めてね、痛くないようにしとるわけです。
あるいはもうひとつ別な話をするとね、摩擦というのがありますけれどもね、これなんかもいっしょですね。
みなさん道を歩いているときに摩擦ってあまり感じないかもしれないけれど、川原(かわら)なんか歩いていると、前に進むためには、砂利(じゃり)とか砂とかいうものをザクザクとうしろにおしのけていかないと歩けないのですね。
砂利が、ようするに足のうしろに遠ざかって、こんど自分の体が前に動いていくんですね。これも砂利を押しやるのと逆に正反対の方向に力が働いておるわけです。
あるいはまあ宇宙空間なんかでも、まあ飛行船が飛んでいますね。しかし、宇宙空間には空気がないみたいに思いますね。こういった疑問があろうと思います。
空気がなければ、反作用がないんだから、飛行機が前に進むわけがないじゃないかと。まあこういう考え方もありますね。
たしかに大気圏内を飛行機が飛ぶためには、うしろからジェットとして火をブッブッブッ吐いていますね。お尻から火を噴いて、それが空気に当たって、空気の抵抗によって、その反発する力によって飛行機が前に飛ぶんですね。これがうしろに火を噴いたって、当たるものがなにもなければ、飛行機は暖簾(のれん)に腕押し、糠(ぬか)に釘で、前に進まないでストップしちゃうんですね。
宇宙空間を宇宙船が飛ぶのはなぜかというと、けっきょく宇宙船が自分が吐き出しているガスに当てて次のガスを吹き出し、その抵抗によって飛んどるわけです。まあそういうことがあるわけですね。これを作用・反作用といいます。
あるいはスーパーボールというのがあって、目の下からポーンと下に落とすと、だいたい同じぐらいのところヘポーンと跳ね返ってきますね。一昔前にはやった遊びですけれども、スーパーボールっていうのがあります。
これも、作用・反作用の法則です。こういうような法則っていうのが働いておるわけですね。
衝撃力、力の大きさと質量の関係というのも、物理学的にはいろいろとむずかしいことあるんですけれども、これをいまみなさんにいっても、すぐには理解できないから、きょうのところはやめときます。そこでまず作用・反作用の法則ということをさらに話を進めていくことにします。
3.心の力の作用・反作用は「善因・善果、悪因・悪果」ともいえる
これはね、たとえていうと、まあ心でいいことをいつも思っている人、他人に対して親切な行為を行なっている人、まあこれも物理学的な目で見れば、プラスのエネルギーと見てもいいわけですね。こういうことをしている人はまたいいことが返ってくるね。
ところがつねづね他人を馬鹿にしている人は、やがて自分が馬鹿にされるはめになる。これが反作用です。こういうことが起きるわけですね。
あるいは古い言葉でいうと、「播いた種は刈り取らねばならぬ」ということわざがありますけれども、悪い種を播くと、悪い実を刈り取らねばいけません。あるいは、いい種を播くといい実を刈り取らなくてはいけない。
こういうように「善因・善果、悪因・悪果」ということわざがありますけれども、これもまさしく、いまの作用・反作用と同じなんですね。
昔から子供の時代からね、みなさんはいいことをしたら親や先生の覚(おぼ)えがめでたいし、大人になればいい人間になるけど、悪いことをしたら悪い因果が報いてくるぞということで、ずいぶん言われるんです。けれども、まあそれは道徳としては理解ができても、なかなかじっさいの体験としてはみなさん、経験できないですね。
それで「そんなことないじゃないですか。」と。「ヤブ医者がずいぶん儲かっているじゃないですか。」ってね。心のなかが悪くても、ボコボコ儲かっていると。そういうことありますね。
しかしね、そういうふうな悪い作用やっとると、かならず同じ大きさだけの物理学でいう同じ力の大きさですね。この反作用というのがかならずくるのです。
生きているときにどこかで、そういう悪徳医師の化けの皮がはがれて、社会的非難を受けるか、あるいは死んであの世に還ってからね、反省させられるかです。
4.円高不況と日米貿易摩擦(まさつ)にみる作用・反作用
また貿易のことなんかについていっても、作用・反作用の法則はあてはまります。日本がちょうど、この収録しているとき、円高だというんで、たいへん騒がれています。
円高だということはどういうことかというとね、円が高いということはようするに円の購買力が強くなるわけですから、買い物するときにようするに安く買えるわけですね。円が強くなるんだから、日本円で外国の物を買おうとすると安くなる。安く買えるのですね。
円が強いということは外国のものが安く買えるけど、逆にじゃあ、外国の人の立場から見て、日本の物を買おうとするとどうなるかというと、日本のものは高くなるわけですね。
たとえばラーメンが日本では一杯三百円であっても、この三百円の値打ち自体が上がってしまって昔一ドル三百円だったけれども、一ドル百五十円となったら、ラーメン一杯っていうのはニドルになるのですね。値段がニドルになっちゃう。ニドルのラーメンは高いというので食べてくれないわけです。こういうふうなことがありますね。
それでいま、円高になって不況業種がいっぱい出てきてバタバタ倒れかかっています。これなんかもひとつの作用・反作用の法則が、経済の世界にまず働いて、やがて人間自身の繁栄のなかに影響してきているのですね。
いままで日本は、たとえば円安のメリットをじゅうぶんに受けて、ドンドン輸出したんですね。輸出がうまくいくのは、物が安いから外国の人たちが買ってくれるわけです。
あなたがたでも八百屋さんとか肉屋さん行って安けりゃ買うでしょう。同じです。日本の円が安いから、日本の物が安いっていうんで、海外がドンドンドンドン買ったわけです。
お客様はね。お客様は安けりゃ買うからね、なんでも。バーゲンのとき、飛んでいくのが主婦の心理です。いっしょです。
で、海外のお客様は安い日本製品をドンドン買うけれども、外国の政府というのは、これに困ったわけですね。円が安いというのは、これはもうはっきりいってダンピングといっしょではないかって。
こんな安くドンドンドンドン売ってきて、そして外国の国内の産業を破壊しとるじゃないの日本は。そして外国の経済を破壊しとるけど自分だけが儲かっておると。いつもいつも貿易黒字、貿易真黒けの黒字なんですね。黒字なんです。
ところがアメリカの政府のほうは、赤字も赤字、真赤っかなんです。このままではおかしい。
ただもっと円が強くなってドルが弱くなって、アメリカ製品が安くなって日本で買われて当然じゃないかと。そしたら帳消しになるのじゃないかと。こういう配慮が働いてくるわけです。
そうすると、いままでの日本の繁栄の逆がくるわけですね。日本の自動車がなんでそんなに売れたかって、けっきょくのところ性能もよかったけれども安かったのですね。
安いから売れた。値段が二倍、三倍になったら売れますか。高くなったら売れませんよ。
いま車が一台いくらで買えるのか、はっきりわからんけれども、まあそこそこのふつうの車なら百万から百五十万出せば買えるでしょう。これが一台買えます。性能がいくらよくたって、これが倍になってね一台が三百万になってくると、ちょっと若い人には手が出なくなりますね。車のローンがありますけれども、三百万だとちょっときつい。車のローンがまた十五パーセントとか十八パーセントとか二〇パーセントの年利ですから、ますます高い。こういうことで買えなくなります。
いっしょです。海外の人でもトヨタの車がいくら性能がいいからったって値段が二倍になったら、そりゃあ買えませんよ。
そうすると自動車産業は不振になっていきます。これがいままで儲かっているのが当然と思っとったのが、当然じゃなくなってきたのですね。その反作用が起きてくるわけです。
こういうふうに作用と反作用というのは、物理だけではなくて経済のなかにも働いておるのですね。そりゃもう人間もいっしょです。人間の心も同じなのですね。だから日本もその自動車輸出して、儲けていたときにその利益っていうのをしっかりプールして、不況のときのために備えていかねばいかんかったのです。
それなのに儲かるのは当然だと思って、やっておると円高がきて、ガクッときて、輸出産業がぜんぜんダメになってくるんです。こうなっちゃうんですね。
5.この世で徳を積んだ者はかならずあの世で報われる
人間もいっしょです。まあとにかく金さえ儲かればいいっていうんでね、悪徳のままに心が悪いままにつっ走って十年、二十年うまくいったなんて思っていても、やはりどこかでかならずたががゆるんでパシャッといくんです。まちがいないんです。
ところが心の富を積んできた人というのは、どこかで、その恩恵を受けて、すばらしい人生の展開というのがあります。運が開けてくることがあるのです。
この世で、もしそのようなことがなかったとしても、あの世ではもっと逆にすばらしい人生が開けていく可能性が強いのです。
その典型はなにかというとね、キリスト教系でよくある話ですけれども、殉教(じゅんきょう)した人がいっぱいいますね。キリスト教では、イエス様が十字架にかかったというんで歴代のお弟子さんたちも、十字架にかかったり、焼き殺されたりしています。
私はけっして十字架を勧めておるわけではないんですけれども、彼らが心のなかで思っとったのは、やはりこの世で徳を積んだものはかならずあの世で報いられるという考えだったんですね。
じっさい、では、それぞれ十字架にかかったり、焼かれたりした聖人たちはどうかっていうと、あの世での生活はどうかっていうと、けっこうみんないい生活をしているのですね。悪くありません。ぜんぜん悪くないんですよ。まあね、この世的には悲劇であっても、あの世では悪くない。
またこの世での偉人たち、たとえばソクラテスが毒をあおって死にました。刑死です。キリストは十字架にかかりました。インドの偉大な独立の父、解放の父のガンジーはピストルで暗殺されました。またリンカーンも暗殺されました。
じゃ彼ら死に際(ぎわ)が悪いから、ほんとうに悪いところへいっているかっていったら、いっていないのですね。
まあそういう死というものをひとつの境界、境目として球がはね返ってくるわけですね。同じ高さまではね返ってくるわけです。スーパーボールといっしょで。
だからやっぱり、いい球を投げておると、いい返球があるけれども、悪い球投げてると、まともに返ってこんのです。
6.人間の心の世界の作用・反作用には一定の時間が介在する
ですから壁に向かって球を投げておるのといっしょで、人生というのは全力でもって、いい球を投げねばいかんのです。
ところが、手を抜いて、コロコロ転がしたり、山なりの球を投げたりすると、まともに返ってこんのですね。そういうふうになるのです。
まあだから作用・反作用の法則というのは、「播いた種は、刈り取らねばならん」、「善因・善果、悪因・悪果」ということと同じです。仏教でいう、そういうカルマですね。カルマの法則もいっしょです。
ただ人間の心の世界のなかには、物理的な作用・反作用とはちがって、一定の時間の流れが間にあるということが問題なわけですね。
物理の法則だと、作用があるとすぐ反作用があるんですけれども、心の世界では、その反作用があらわれるまでに一定の時間の差があるのです。
そしてその時間の差というのは、人間によってちがうんですね。個の差があるんです。こういうことがいえます。まあそれがひとつです。
7.愛と慈悲に生きている者は、後光の量となって結果があらわれる
それともうひとつはね、私は、光の話をしておこうと思うんですけれどもね。まあ、いまそういう「善因・善果、悪因・悪果」という単純な話をしましたけれども、逆にね、霊的な目で私たちの世界から見ていると、ようするに徳を積んでいる人たち、つまり、いつも愛ですね、愛と慈悲に生きている人たちというのは、私たちの目で見ると、ひとつ愛をポンと与えると、頭の上の豆ランプがポンとつくようになるのですね。
リンゴ一個分ぐらいの愛を与えると、頭の上にポコンと同じだけの豆ランプがつくんです。もう一個与えると、もう一個つくと、まあこういうことで、まるでマッチ売りの少女みたいなもんで、マッチを一本擦(す)ると、いろんな夢の世界が目の前に広がってくると、まあこういうわけなんですよ。
そういうことで、じっさいに他人のために生きた人、愛に生きた人というのは、自分もようするに与えただけのものが与えられるんです。それは与えられるっていうのは、人から与えられるというよりも、神から与えられるのですね。
その証拠に、与えた瞬間にその人の頭の上から後光が射しておるのです。ほんとうにいいことをした人には、後光が射しておるのです。
ですから、後光が射す条件はふたつあります。ひとつは、私がつねづねいってます反省ですね。人生における反省。自分の人生の誤りを正して悔いること。ひとつひとつまちかっかことを反省してブレーキを踏むこと。これによって後光が射してくることがあります。これは自分の心のくもりが晴れることによって光が射してくるというのがひとつ。
まあ頭だって髪の毛が抜けたらもちろん光ってきますから、いっしょで、髪の毛が抜けるかわりにくもりが取れたら光ってくるわけですね。
まあこういうことがひとつと、こういう反省だけじゃなくてもうひとつは、その逆ですね。
反省というのはマイナスの自分を修正するということですけれども、あともうひとつはプラスの自分をつくっていくこと。積極的にいいことをしていくということ。これをすると、またもちろん後光が射してくるのですね。
8.想念帯のなかの記録のテープ
こういうふうに人間というのは、ソロバンといっしょです。あるいは帳簿といっしょなのですね。赤字と黒字がはっきりしているのです。
いいことをしたら黒字で書いてある。悪いことをしたら赤字でいっぱい書いてあるのです。
まあ私はよく想念帯の話をしましたけれども、想念帯のなかには、こうした記録というのがはっきりと残っておるのです。
いま、赤字と黒字というふうに単純に私は話をしましたけれども、ほんとうはそんなにかんたんなもんじゃないんですね。人間の心のなかには、想念帯というテープ、これがかくされておるのです。
いま高橋信次のこの霊言というのは、まあどこで作ったテープか知らんけど、一本四百円ぐらいのテープで、いま、録音されておるはずです。
みなさんこれは一本四百円ぐらいのテープなんですよ。こんないい話がね、一本四百円のテープのなかに収まっておるわけです。で制限時間は一回、三十分しか私はもらってないのですよ。みなさんかわいそうでしょう。
ね、読者のみなさん、三十分しかくれないのですよ。なぜ三十分しかくれないか。一章分三十分。他の霊人たちは、一章しゃべるのに四十五分の時間をもらっているのです。ところが高橋信次は一章三十分しか時間をくれないのです。
なんでこんなにケチなんだろうかとみなさん思うでしょうけど、どうも編集者たちなんかは、「まあ高橋さんというのはおしゃべりだから、よくしゃべるから、あんまり時間を与えるとたいへんなことになる。本は厚くなるし、値段が高くなって読者が困るし、原稿書くのたいへんだし、もうたいへんだから、とにかく短いうちに閉じ込めにゃあいかんから、とにかく三十分にしてくれ。」と。
そういうことで前回の本では私は三十分テープでしゃべらされたのでありますが、やはり三十分テープだとね、心ゆくまでしゃべれんのです。三十分だと途中で切れてはいかんと思って、二十七分ぐらいくると、もうソワソワしてきてもうしゃべれなくなってくるんですね。
こういう心理がありますから、それでは不安であると。まあ今回は交渉いたしまして四十五分テープを使わせていただいて、四十五分テープで三十分しゃべることにしたわけです。場合によっては三十二、三分しゃべってもね、怒られないと。まあこういう魂の自由を得たわけですね。
えーなにを話しているかというと、テープの話をしているわけです。人間の心のなかにこういうように、こりゃ何のテープかね。ソニーかね。なんというのかね。あ、TDKね。TDKのテープを使っておるそうですけど、このTDKのテープといっしょで心のなかにそういうテープ・レコーダーがはいっているのです。
「心のなかってどの辺にはいっているのですか。高橋さん、頭のなかですか。胸のなかですか。お腹のなかですか。もうちょっと下のほうですか。どこですか。」と聞く人いるでしょう。
そりゃ、あなたね、理屈的にこの世の人は人体にあてはめるからややこしくなるのであって、ポコッとTDKの四十五分テープがあるのです。それがクルクルクルクルいつも回っとって、そして生きている人間のしゃべったことね、行なったこと、思ったこと、これをぜんぶ記録しておるんですよ。
9.心のなかのボイス・レコーダー
でみなさん、また話が飛んで申しわけないけれども、よく日航機の事故とかいろいろありますね。全日空の事故とかがあって飛行機が以前墜落したけど、なんかボイス・レコーダーといって磯長たちが最後まで話しているテープが残るんですね。
「飛行機バラバラで乗客みんな死んで、みんなあの世にいっちゃって、燃えちゃったのに、なんでテープが手にはいるのかなあ。」なんて思うけど、ボイス・レコーダーというのがあって特殊な性能なのですね。焼けないのがあって、それを取り出せるようになっとるんですね。
そして最後まで、「あれおかしいぞ、操縦桿(そうじゅうかん)が動かない。」とかね、「逆噴射。」とかいう声がね、ぜんぶ収まっとるわけです。そしてその飛行機が墜落するまでの、すべてを物語っています。
同じように、人間の心のなかにもボイス・レコーダーがはいっておるのです。これがあるのを知ったらね、みなさんたいへんなのですよ。これを聞かれると恥ずかしくて恥ずかしくて、どうしようもないのです。その心のなかのボイス・レコーダーが各人のなかにはいっとるのです。
そして死んであの世に還ったときに、これがね、みなさんが集まったところで、まわされて聞かされちゃうんですよ。
それがねみなさんでも、たとえば外国、海外旅行をして洋行して留学して帰ってくると、親戚から近所のみなさんが旗ふって、駅まで迎えにくるでしょう。提灯(ちょうちん)行列っていま少なくなったかもしれませんけれども。まあ洋行から帰ってくると、そういうふうに村をあげて歓迎してやってくれますね。そして帰朝報告というのがあるわけです。
同じように、この地上に生活しているってのはね、あの世から見てたらもう旅行に出ているのといっしょなのです。洋行ですね。
海外、外国へ行っているのといっしょです。ですから還ってくるとね「みんな久しぶりだねえごってね、あの世の友だちみんなやってくるのですよ。
先生や友人たち、両親たち兄弟たち、それから、昔の恋人とかね、いろんなもんがね、ゾロソロゾロゾロくるのです。
そうすると「やあ、やあ、やあ。」ってね、いいかっこうして還ってきて、「いやあ、やっと還りました。いやあ、疲れて、ほんとうに向こうの国で勉強しましてね、ほんとうに宿題が多くてもう毎日毎日ね、一日十四時間勉強していました。たしかによく勉強しましたよ。」って、「ほんとうによくやってもうたいへん勉強してこの世の、三次元の勉強をして、多くの人たちに愛され、尊敬されて石碑が立って還ってきました。」って報告しとるわけです。
「ああそうですか、じゃちょっとあなたのテープ貸していただけますか。」「テープってこの胸のなかにあるやつ、えっこれですか。」これを手をのばしてパクツととられて、「じゃみなさんこれからテープを聞いてみましょう。このボイス・レコーダー聞いてみましょう。これはこの人が一生の間、思ったこと、行なったこと、考えたこと、の意味が出てきますよ。」ってね、これがかけられるわけです。
10.ボイス・レコーダーの高速復原による人生の精算
ところが、あの世って便利で、現在でもテープの録音で高速の録音機があるそうですけれども、同じように高速復原機がありまして、あっという間にね、その六十年、七十年の一生を一時間ぐらいで再現してしまうのです。
そしてまあ文化が進んだところでは、それをもう立体的映画みたいに映し出すところまでいってますけれどもね。まあそこまでいかなくて、音だけ聞いているところもあります。まあいろいろですけれども、そしてボイス・レコーダー聞くと、ほんとう仏さんみたいな顔してね、「愛のなんとか」といってやっとったけど、ほんとうは心のなかは真黒けでね、「悪のなんとか」というような題のつくような内容なわけです。
自分が人助けのために神主(かんぬし)として一生懸命やっとったなんて思っても、ほんとうはもうザクザクザクザクお金がはいってくるので賽銭(さいせん)数えるのがたいへんでね。
実態は初詣(はつもうで)なんかどうでもよくて、初詣でもうプアーと雅楽(ががく)をやっているときにね、今年の賽銭いくらはいるかそればかりが心配で心配で、宝くじがほうり込まれたりしたら、それが当たっているかどうかが心配でどうしようもない神主さんていっぱいいるんですね。
宝くじでほうり込まれたやつが、当たっとったら、これでもって新築ができる。これだけで車が買えるとか思っとるわけです。
まあこういうことが正月の行事で、プアーという音楽が流れたときにいっしょにこの宝くじいま、前の人が一個ほうり込んだ。これは当たるかなあ。これはなんかジャンボらしいぞ。ジャンボ宝くじで、一本七千万当たるらしい。これはほしいね。第一勧銀にあとで聞きにいかにゃならんとかね、こんなことを考えてます。こういうのがぜんぶわかっちゃいます。そういうことが恥ずかしいわけですね。
「じゃ高橋信次よ、お前が死んだときはどうだったか。還ったときにお前だって日航機の墜落みたいな感じで、四十八歳で墜落したんだから、墜落したあとで、ボイス・レコーダー取られて、それでみんなに聞かれたのと違うか。」と。そういう人もいるのでしょう。
まあそうはいかんのです。まあこちらの世界でも、武士の情けということがありましてね。いやしくも心の教えを説いた大先生のかつての素行をみんなで洗いざらい検討して、頭を叩くなんてことは、そんなことはありえないのです。
高橋信次のように生前悟りを開いて、多くの人たちを救った人が、洗いざらいね、その悪業の数々をね、つまびらかにされて、そしてみんなに知られてはずかしめられるということ、そんなことはないんです。
そりゃやっぱり谷口雅春先生ではありませんけれども、一直線にもちろん還ってきたわけです。天上界の最上段階へまっすぐ還ってきたわけです。
11.神理の言葉は黄金色で心のテープに刻まれる
そういうことであって、だれでもかれでもボイス・レコーダーを点検されるわけではありませんけれども、そういうボイス・レコーダーというのがあって、それはかならずみんな記録されているのです。
それを霊視すると、そのなかにいろんな文字が刻まれているのです。たとえば私がいま語っているのは神理の言葉ですけれども、まあ神理かどうか怪しいという人はいるかもしれませんけれども、まあいちおう神理の言葉なのです。
神理の言葉っていうのは黄金色で刻まれているのです。黄金色の文字がね、はいっているのですね。
だから一日十時間つまらない仕事して、あと帰ってカアちゃんと喧嘩して夫婦喧嘩して、でそのまま寝ようかと思ったけれども、このままじゃいかんと思って、『心行(しんぎょう)』、あるいは『正心法語(しょうしんほうご)』を二十分、三十分ぐらい読んでおると、その間の経文を読む心の波動は黄金色の波動で、想念テープのなかにはいっているわけですね。
そうすると二十四時間のテープのなかの三十分ぐらいは黄金色の波動がはいっているわけです。これは神理に触れた時間ですね。神理に触れたり、神理を語った時間は黄金色です。
ところがまあいろんな色があるけれどもね、たとえば猜疑心(さいぎしん)、こういうのは緑色で書かれていますね。猜疑の目でもって人を見た人は緑色です。あるいは暗褐色(あんかっしょく)に近いですね。
あるいは嫉妬心(しっとしん)。嫉妬心なんていうのはこれも赤黒い色で書かれているのです。
あるいは他にもいろいろありますね。たとえば愚痴(ぐち)。愚痴っていうのは、灰色の文字で書かれています。
こういうふうにいろんな感情の色に合わした文字でテープがいっぱい書かれているのですね。
あの世の光の天使たちから見れば、生きている人間のそうした想念のテープを読みとるぐらいかんたんなのです。パアーツと見たら、全体の色調をパアーツと見たら、「ああこの人は黄金色っていうのはまあ十年に一回ぐらいしか出てこないなあ。」なんて。
真赤な色なんて毎日出回ってね。ピンクの字で書いているのはこれは女の子の尻ばかり追いかけているのにちがいないってね。女の子のことばかり考えているとピンクになるわけです、字がね。もうなんかテープがそのへんだけピンク色に変色していたりしているのですね。こんなことがあります。
まあそういうふうに想念のテープを読まれると一発でわかっちゃいます。こういうふつに心のなかの思いというのは、レコード盤とか、まあいわゆる想念のテープとかがぜんぶ記録されているんですよ。まず、これを知ってください。
12.想念テープの赤字を消し去るには反省しかない
地上のみなさん、このことを知るとね、ほんとう、悪いことを一秒も思えないのですよ、恥ずかしくって。ぜんぶ記録に残るんです。私が霊言を吹き込んだテープは消そうと思えば、いつでも消せるけども、心のテープっていうの、これは消せないのです。これはもう何億年たっても消せないのですよ。
これを消すためには、ようするにマイナスのことを打ち消すだけのプラスのことをいれないと、差し引きゼロにならんのです。これをするために地獄というところで反省をしとるんですね、みんな。マイナスのテープ持った人間がようするに反省によってね、そのマイナスを帳消しにしてもらうために、やっとるわけです。
で、悪事そのものというのは消えないのですね。赤字で書かれた悪事というものは消えないんだけれども、その分だけ黒字でいいことを書いてくれたら、差し引きゼロにしてくれるんです。そういうふうになっとるんですよ。
まあそういうふうに心の世界でも、左右対称に貸借対照表のように赤字と黒字というのがはっきりしているんですね。
そういうことで、まあきょうはいろんな話をしましたけれども、心の法則ということでね、作用・反作用の法則ということと、それと心のなかにはテープというのがあってね、想念帯のテープというのがあって、そのなかには一生の記録がぜんぶ、記されています。ですからその記録をよくするために、人間は努力していかねばいけませんよと。まあこれにとくに注意してくださいね、まあそういうことですね。
たとえば風邪をひくことはだれでもあるけれども、風邪をひいているときにどういう思いを持って風邪を一生懸命ひいとったかが、その想念のテープのなかに記されるのです。ここが肝腎(かんじん)なわけですね。まあこのへんよく考えて、努力してみてください。