目次
11.しかし人類は死に絶えない
(1987年2月4日の霊示)
1.ポスト・ノストラダムスの時代と予言
いよいよきょうは、「ポスト・ノストラダムスの時代」というふうに名づけました。
ポストというのはみなさん郵便ポストじゃありませんよ。とくに主婦のかたはポストというと郵便ポストだと思ってね。あるいは「週刊ポスト」かしらなんてね、いろいろ思っているでしょう。
だけど、そのポストだけがポストじゃないんですよ。ポストっていうのはね、いちおう、英語なんです。英語で「つぎの」とかね「あとの」とかいう意味なんですね。
そうすると、ポスト・ノストラダムスというのは、ノストラダムスの予言ばかりじゃなくて、ノストラダムスのあとの時代とまあこういうことですね。
だから私も英語の勉強ぐらいしてたということを見せるために、ノストラダムスのあとの時代というんじゃなくてね、ポスト・ノストラダムスの時代とまあこうなったわけです。
それでね、きょうは主として予言が中心の話になるかと思います。
けれども、まああんまりきわどい予言をするとね、やっぱり全人類にたいしてひじょうに恐怖心を起こさすといけませんからね。
私は恐怖は大嫌いで、楽しいことが大好きですから、そういうことは言えませんけれどもね。まあ多少やわらげながらいろんなことを言っていこうかと思います。
2.イエスの誕生と十字架上の死の予言
予言といいますといろいろありますけれども、昔からイエス様の出現の予言ね、これは有名でしたねえ。旧約聖書の預言者たちはイエス様が出る千年前から、救世主が出るっていうことを予言していました。
でこれは有名な予言でしたね。かなり的確な予言で、その救世主が十字架にかかって死ぬところまで予言されていました。
だから予言があったから、彼があえて十字架にかかったのか。十字架にかかることになっておったから、予言ができたのか。ここがむずかしいところなのですね。
まあイエス様に言わしてみりゃあ、「あんなこと言われたもんだから予言が成就するためには、やっぱり十字架にかからざるをえん。」と。
そしたら「逃げることは逃げれたんだけど、まあいちおう予言がはずれると私が救世主でなくなるから、やむをえんから十字架にかからにゃしょうがない。」とあきらめたかね。まあこのへんはご本人の葛藤がありましたでしょう。
ゲッセマネの園で汗を流して、お祈りになったそうですから、葛藤されたでしょう。「神様どうかお答えください。私はいま、逃げようと思ったら逃げられます。追っ手が来ておるのはわかっています。いま、逃げたらたぶんまあ二、三か月は生きのびられるでしょう。そのときまた外のほうへ、方面へちょっと逃げればもうちょっと生きのびられるかもしれません。けどいまジィーッとここにいたら、とっつかまえられて、明日は十字架です。十字架が待ってます。どうしましょうか。」
ただ旧約聖書では救世主が出るときにそれが人の子の手にかかってあげられる、十字架にかかるということをね、予言されています。
またその死刑執行人たちがね、その者の着ておる衣ですね、「一枚でできた衣をくじびきを引いてわけて切り裂くであろう。」ということを旧約のなかで予言はされていますね。
そうすると、このままジィーッとしておったらね、イエス様の洗濯したての晒(さらし)ですね、晒を巻いているか、フンドシではなかっただろうと思うんでずが、まあ晒を兼ねたような一枚の衣をさらっと巻いとったんでしょう。
きっとこれはマグダラのマリアなんかが仕立てた服であったと思いますよ。これを、一枚衣をね、こういう服を着とったんです、イエス様はね。
たぶん明日までいるとこの一枚衣の服は切り裂かれて、くじびきでわけられるだろうと、死刑執行人たちに。そして私は罪人とともに処刑されることが予言されておると。
その予言が成就される。予言の成就を取るべきか、わが身のかわいさを取るべきか。
イエス様でも、やっぱりちょっとは迷ったんです。これが血の汗になって流れたわけですね。
3.イエスの血の汗の祈りに沈黙で答えた高級神霊たち
しかしそのとき、神様はなにもお答えにならんかったわけです。
神様というのはだれかというとね、答えなかったのは知らん顔しておるのですね、ようするに。知らん顔したのはだれかというと、はっきり名前を言いましょうね。
知らん顔したその人は、天上界にいてイエス様の祈りを聞きながら、知らん顔して返事しなかった人というのは、まずモーゼですね。これが一番筆頭で知らん顔して逃げたのですね。
二番目に知らん顔をしたのが、アモンというのがおったんですけれども、これも知らん顔して逃げました。
それから三番目に知らん顔したのが、だれかちゅうと、これはね、お釈迦様なんです。お釈迦様いたんですよ、ちゃんとね、いたんです。知らん顔してね。
「私は蓮の池のほうへ行って、やっぱりねクモの糸たらしてね、地獄霊たち救わにゃいかんからね。」ってね。
それやっとかないとね、のちの世に日本に芥川龍之介が出たときに、お釈迦様が蓮の台(うてな)の上から地獄を眺めておって、かわいそうだからお慈悲でクモの糸をたれて、カンダタとかいう罪人がね、それを登ってくるときに下からいっぱい登ってくるから、「おまえら登ってくるとクモの糸が切れるから下にいきやがれ。」ってね、「落ちろ。」なんて言ったもんだから、プツッと糸が切れたなんてね話ありますね。
「こういうことを後の世に芥川龍之介が書かにゃいかんから、私は忙しいです。」
「クモの糸たらすんで忙しいからちょっとイエス様の祈り聞いていられないから、ちょっと他の人にたのむから。」ってね。で知らん顔しました。
そのときにいちばんやはり偉大だったのは高橋信次だったわけですけれども、高橋信次はね、「まあ死ぬのか。それはいいだろう。もう時期もきただろう。イエス様も独身だからそんなに長くいちゃあ体に毒だから、もう還ってきなさい。」
だけどまあ本人としてはやっぱりつらいのはつらいのだから、つらいときにはね、ことわりの手紙を入れりゃいいんです。けれど私たちとしては知らん顔をしているのがいちばんなんです。
だいたい出版社なんかでもそうですよね。本を出さないときなんかね、出しませんなんて言わずに知らん顔しているんですね。これが出版社のやりかただし、著者のほうが強くなってくると、出版社が原稿ほしいといっても、著者のほうが知らん顔してね。「いやーそのうち、そのうち。」などと言ってことわるんですね。
こういうふうになります。これは大人の知恵っていうんです。
同じようにね、まあイエス様が、命ごいしているわけではないんだけど、「明日ほんとうに十字架にかからにゃいかんのでしょうか、どうしましょうか。」と言ったときに、やっぱり「そのとおり十字架にかかれよ。」なんてね。
「死ね。」なんて言ったらね、あとでやっぱりシッペ返しが怖いですから、やっぱり知らん顔するのが大人なんですね。大人の知恵で知らん顔しているわけです。
だから高橋信次なんかあの世でやっぱり安楽椅子に腰かけて、葉巻きのタバコなんかくわえてね、ゆっくりとくゆらせながら、「まあしかなるべしでしょう。なるようになるでしょう。ハッハッハッハッハ。」と笑っておったわけであります。
イエス様は三十代だったのですよ、そのときに。しかしだれも答えてくれない。あれだけね、私が忙しいときにはいっぱいちょこちょこ来てはね、話をしてた人がね、だーれもなにも言ってくれない。知らーんとしているのですね。シーンとしているのですね。
こりゃみんなもう、これはというとね都合が悪いと思ってね、自分が死刑宣言したと思うと、イヤなもんだから、みんな黙っているなんて。
モーゼ呼んでも返事しない。
エリヤ呼んでも返事しない。
アモン呼んでもいない。
お釈迦様呼んでも知らん顔していない。蓮の台(うてな)のほうかなにか見ちゃって、ぜんぜんふり向いてくれません。
高橋信次はちょっとタバコをくゆらして知らん顔しています。
こういうことでだれも返事をしない。
三時間たったけど「ああ、そういうことだったのか。そうか、そんなにつれないのですか。あっそう、わかりました。じゃいいですよ。私はもう腹きめましたから。けっこうです。私だって、あなた日本人に生まれりゃね、武士のはしくれです。この腹かっさばいてみせましょう。」と。
こういうわけでイエス様は、旧約聖書の予言どおりになることに決めました。
「このまますっきりいったほうがいいだろう。」あまりバタバタするとちょっと予言が狂ったりするとまた疑われてね。
「わしこそがキリストじゃ。」なんてもう一匹出てきたらいかんから、もうあっさりやられることにしましたね。
こういうように、まあ肉体を持った光の指導霊でも、いざ死ぬ段になると、やはり、心が揺れるのです。
4.四十八歳でこの世を去ることを予言した高橋信次
同じようなことが一九七六年に起きたわけですね。みなさんご存じでしょうか。
一九七六年の偉大な事件、知ってますか。知らない? 知ってるね。高橋信次氏のご逝去ですね。高橋信次さんが亡くなられたわけです。
あれほど多くのひとびとを救われた奇跡の人とまあ一部の人から言われたことがあった高橋信次は、一九七六年、みずからの予言どおり死んじゃったわけです。
まあ、私の本のなかで『心の発見』でなんども言うけど、たとえば、神理篇とかありますけど、あのなかにたしか書いてあったと思いますけれども、私は二十代でね、一栄と、まあ高橋一栄という、まあ妻をやっとった、やっとったというと怒るけれども、まあ元、妻というか、いまも妻か、前妻か知りませんけれども、妻と結婚するに際してね、私は「自分は四十八歳までしか予定のない人間である。」と言いました。
で「四十八歳のときには私は人生を左右するような、大きな事件に見舞われる。それでも、おまえいいか。」と。「それでも俺と結婚するんか。」と、いうことを言ったわけですね。
まあ一栄先生は、まあぼんやりしている人ではないんですけれども、ひじょうに合理的な方ですから、「まあ馬鹿なことをおっしゃる人ね。まあ冗談いってね。四十八歳までしか予定がないならね、四十八歳でまた予定を作ったらいいじゃないの。六十まででも、七十まででも。かっこうつけちゃってね。四十八でどうするんだろうか。もう会社やめて出家するというのだろうか。それともどっかの会社でも勤めてて、定年退職、選択制定年退職にかかって早目にクビ切られるのかしら。まあなんでもいいけどまあ、そのときがきたらそのときじゃないの。」なんてね、思っていたようです。
そういうことを本に書いて私もね、もう死ぬ何年も前から、もうね、私は「そろそろ逝(い)くよ。」っていうことをずいぶん、まわりの人たちに言ってました。
だれも信じないんですね。病気の人たちをドンドン治したりね、奇跡がドンドン起きましたから身のまわりで。
これだけの奇跡を起こす人がかんたんに四十八で死ぬなんてわけはないと思うわけですね。
四十八なんて早死にする人は、これは悪霊にとりつかれた人しかいませんから、そんなことはない。そんなのふつうの人なのです。
でも、そういえばイエス様は三十三歳で私より十五年早い。そんな悪霊につかれて死んだのですか。そんなことないでしょう。これはみんなあの世での予定があるのです。
5.三十三歳のイエスの死が招いた弟子たちの混乱
ただそのときのイエス様の三十三歳で亡くなられたということにたいしてね、弟子たちはこれは動揺したわけね。
「その若さで亡くなるちゅうのは、おかしいね。救世主がそんなはずがない。十字架にかかってもね、たとえば槍で突こうと思っても、槍が折れたとかね、殺そうと思ったら稲光が落ちて、まわりの人がみな死に絶えたとかね。そのていどのこと起きるんじゃないか。」とか。
あるいは「ガブリエルだとかね、ラファエルとか、いろんな天使がきて、イエス様を十字架から抜いてね、救っていくんじゃないか。」とかね。いろんなことを弟子たちは思ってたんです。
ところが、じっさいはそういうことが起きずに、イエス様は酢っぱい葡萄酒かなにかを含(ふく)ました海綿かなにかを口にあてられて、一口も飲まないうちにこときれちやったのですね。
弟子たちも動揺したわけです。三十三歳で亡くなっちゃって、死ぬ段に奇跡が起きなかった。こんなのでほんとうに救世主だろうか。
たしかに先生の救えはりっぱだったし、愛の教えはすばらしかったし、奇跡はいっぱい起きた。
たとえば、もちろん病人なんかいっぱい治っちゃったし、死人が甦ったし、それから、海の上、波の上をペタペタはだしで歩いちゃったイエス様です。
それから五千人、七千人の人に食事を与えた。パンを裂いたらいくらでも増えて、魚をわけたら魚は何匹にでもなった。
あの奇跡の先生、「ラザロよ出でよ。」と言って、墓のなかに寝とった、死んだラザロね、もう死んで何日たっていますかね。四日ぐらいたったんですかね。
「死ねるにあらず、眠れるなり。ラザロよ出でよ。」と言ったら、ミイラみたいに包帯クルクル巻きにしたラザロが、墓のなかから「アーアー、アーアーアア目が覚めた。ああ眠かった。」なんて言っちゃってね。
あの石を押してゴロゴロと出てきたもんだから、もう兄弟とか、親兄弟が「キャー。」って言っちゃってね。もう「恐い。」ってね。
ミイラ男が出てきたなんてもんで逃げまどったわけですけれども、現にそういうことがあったわけです。
死人を甦らせたイエス様が、自分が死ぬなんて、そんなことあるのかしら。これはまあ弟子たちの率直な気持ちでしたね。ですからみな逃げたわけです。そして信じられなかった。
ペテロでさえね、あれだけ絶対にあなたを裏切りませんと言ったペテロが、裏切ったと言っちゃあかわいそうだけれど、「私はイエス様なんて知らない。」なんて三回もウソ言っちゃってね、知ってますなんていったら自分もひっぱっていかれて、その場で死罪ですから、そんなの困るからペテロだって「ア、イヤイヤ知りません。」
他の弟子は他の弟子でね、「ぜんぜん知りません。」って言いました。
イエス様、さぞ怒ったでしょうけど、不甲斐ない弟子ですね。
イエス様も泣いたでしょう。「なーんと不甲斐ない。」まあーペテロなんか、前の日は、「私は絶対、先生の教えを守ってね、だれが来ようと、この命惜しくありません。敵が来れば、この剣で、その身体かっさばいて見せましょう。」なんて言ったペテロが、なーんと寒いからふるえながら火にあたっとったら、「おまえイエスの弟子じゃないか。」と言われて、「イヤイヤちがいます。そんなことありません。」ってしらばっくれます。
こうしてイエス様は十字架にかかっちゃいましたね。そして弟子たちはみんなチリヂリバラバラです。
イエスの死に立ち会った人はもちろん、ペテロも逃げたし、あとヨハネね、ヨハネ伝のヨハネも見てたし、あと何人も見ていましたけれどもね、当時。
マルコなんかも見てましたよ。見てたけど、マルコさん知っていますか。
最近肉体を持っておるかたですけれども、あの霊言集の編者をしている善川三朗さんていう人が、じつはイエスの当時のマルコだったんですね。聖マルコっていう『マルコ伝』書いた人だったんですけれども。
彼もひじょうにまあなんといいますかね、えー純情といいますか、動揺しやすいといいますかね。
当時二十歳ぐらいだったんだけれども、イエス様が、あの先生が十字架にかかるなんてまあおったまげてね、もう真青になっちゃいました。ブルブルブルブルふるえちゃって、もうわなないちゃってね。なにも言えなくなってしまいました。
そして聖霊が救いにくると思ってたら先生が死んじゃったので、もうショックでしばらく御飯が、三日ほどのどを通らなくなりました。
6.死の三日後、復活して成就したイエスの予言
けれどもその後イエス様が復活して、弟子たちの前に現われたのですね。それでみなさん勇気づけられて、いったとおり先生は三日後に復活して現われたと。
これがあの教会でね、なんというか、会堂で説教されたときに「この宮を壊してみなさい。私はそれを三日のうちに建ててみせるでしょう。」こういうことをイエス様はいって、律法学者たちが、これをあざわらった。「この人は頭がいかれておる。」と。
「この宮を建てるのに、神殿建てるのに何年かかったと思ってるの。何十年もかかってるぞ。それをこの気狂いは三日で建てるなんて言っている。」といってね、あざわらっとったわけです。これは悪霊にとりつかれている人だといって。
ところがイエス様が復活したあとで、その話を聞いた人たちが、「ああイエス様がこの宮壊しても三日で我は、建て直してみせると言ったのは、あー、宮と言ったのは自分自身の肉体を言ったのか。肉体をようするに破壊されても、殺されても、僕は三日以内にみんなの前に復活して見せるよ。」と。
「ああイエス様はこれを言ったのだな。」これがわかりました。
それでイエスが生前言っていた予言が成就したことがひとびとにわかりましたね。まあこれは偉大な例でありましょうけれども。
7.高橋信次の死と五年後の奇跡の予言の成就
高橋信次にも似たようなことがあったわけです。一九七六年亡くなる前にね、ちょっと前でしょうかね、私の後継者がやがて出てくるということを予言しています。
「その若者は、関西から出てくる。関西から出てきた若者が、やがて大人たちの前で法を説くでしょう。そして彼が私の遺した教えをたぶん継いでいってくれて発展させていってくれるでしょう。」こういうことを講演でね、予言したことがあります。
まあこれを聞いたかたもおそらく私のこの本の読者のなかにはいらっしゃるでしょう。その予言が成就しました。成就して一九八一年の六月には高橋信次が通信を開始しました。
そういうことで私の予言は、みごとに成就しました。
ただそうした高橋信次であっても、やはり死ぬ前というのはちょっと気が弱くなりましたね。
やはりあれだけ奇跡を起こしてひとびとを救ってきて病人を治した自分が、病気で死ぬなんて、こんなことはね、やっぱりね、この矛盾、いかにして克服するか。弟子たちはちょっと信じられない。そんなこと馬鹿なことあるわけないね。
観音寺の和尚さんなんかは、「尊師はお釈迦様のはずだから、きっと八十までは生きられるにちがいないし、そうでなけりゃおかしいし、四十八なんて冗談にちがいない。」まあこう思っていたでしょう。
そういうふうに思ってた人も多数いたし、「病気になっても自分で治すだろう。」とか、「死んだって、自分で生き返って立ち上がるんじゃないか。」と思った人いっぱいいたでしょう。
けれどもそうした私も、だんだん健康がすぐれなくなってきてね。腎臓を中心にして悪くなって、やせ衰えてきました。なんどか入院もしたし、ゲッソリやせてね、立っているのがやっとの思いでありました。
最後のほうはずいぶん体重も減っちゃってね、やせました。そして息も苦しくなりましたね。
そして六月、妻が止めるにもかかわらず、東北講演を強行しました。覚えている人いるでしょう。GLAでかつて私の話を聞いた人たちも、覚えているでしょう。
五月に富士休暇村だったかな、国民休暇村かなんかで私は講演して、そしてまた東北へ行きましたね。
最後の講演、あのときもう私は息も絶え絶えだったのだけど、みなさんの前で力をふり絞って最後の講演をしました。
あの私が吐く息、吸う息の苦しさ、たぶんみなさんわかってくれたと思いますけれども、私はやはり生命燃え尽きるまでね、みなさんの役に立ちたかったのです。一言でも多く言いたかった。
そういうことでまあ、東北講演から帰って、まあ二週間もしないうちだったかなあ、七十六年六月亡くなりましたけれどもね。
ちょうど五年後に通信したわけです。
私も最後は、そういうふうに混乱しとったから、やっぱり自分が死ぬということを信じられなくなってね、天上界の霊たちは、「五年後、五年後。」ということをやたら私に言うんだけどね。
「五年後奇跡が起きて、その奇跡がおまえを救う。」と言うんですよね。天上界の霊たちが、「五年後大きな奇跡、一九八一年に大きな奇跡が起きて、その奇跡がおまえを救うだろう。」と。
「そのときにおまえの教えが、ようするに継がれるだろう。」ということを言うんですね。天上界の霊たちが、いろんな霊が。
だから私はそのとき、やっぱり四十八で死ぬってちょっと早いしね、自分の寿命が四十八歳て書いてあるけれども、やっぱりそんなことないじゃないか。
だから私はそのとき、やっぱり四十八で死ぬってちょっと早いしね、自分の寿命が四十八歳て書いてあるけれども、やっぱりそんなことないじゃないか。
「私も五年間は生き延びることになりました。」なんて講演で言ったことがあります。聞いたことあるでしょう。
それは「五年後におまえを継ぐ人が出てくるから。そして五年後おまえは救われるんだ。」と。「そして仕事がおわるんだ。」ということを言われたんでね。
まあそういうふうに善意に解釈したわけですね。これでまた混乱が起きましたね。そういうことで混乱が起きました。
そしていよいよ死ぬ段になって、私の死ぬ段になってね、やっぱり、後継者の指名をしなければいかんので迷いましたね。このへんの混乱はみなさんよくご存じのはずです。
8.九次元大加来の死後あとを継げない弟子たち
後継者をだれにするのかについては、釈迦が没するときにもやはり同じような混乱があったんですね。
あまりにも釈尊が偉大すぎて、あと、法を継げる人がおらんのです。法を継げる人がいなくてね、まあいろいろ弟子はいましたけれどもね。
たとえばマーハー・カシャパーという人が、迦葉仏(かしょうぶつ)ですね、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)が、たとえば二代目になったとする説もあるけれども、迦葉尊者と釈迦じゃやっぱり差が大きすぎたし、けっきょく釈迦の教えをすぐ継いでいけなくて、集団指導体制になったわけですね。やっぱり高弟たち、釈迦の高弟たちが集まって集団指導体制をしくことになったわけです。
そういうことになって、まあ有力な十大弟子たちで残っておる人たちが集まっていって、あとね、法を継いでいったわけですね。けっきょく継げる人いないんです。ひとりで。尊師が大きすぎるから。たいていそうなんですね。
九次元の指導霊が出たときに、その二代目の人は、そのあとを継げないんです、普通は。
イエス様のあとだって、ペテロがイエス様のあとを継げたかといったら、まあ継げていないですね。まあ無理でしょう。
最初の教会をようするに建てた人、「ペテロよ汝の上に教会が建てられるべし。」というようなことをイエス様は言ったけれども、まあ継いだといえばそれほどのもんじゃないでしょう。
パウロはもちろん伝道に力があったけれども、イエス様との差が大きすぎます。
そういうことで、私が亡くなったときにもやはり、私の弟子たちとはちょっとね、力の差がやはりあったようです。口はばったいことを言いますけれども、やはりあったようです。
ですから、後継者の指名がやはりむずかしかった。私は、やはり死ぬときには、人間バトン・タッチすると思ってたから、やっぱりいろんなことを言いましたね。
まあみなさんご存じだからこのへんははっきり言いませんけれども、その後GLAが混乱したことはご存じの通りです。
私の正当な後継者が五年後に出るとは、まあ、はっきりわからなかったですからね。
まあ後継者というのは失礼でしょう。
おそらく読者の多くは、彼の本を読めばわかるように、イエス様も出れば、モーゼも出れば、天照大神も、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)も出ておるし、孔子様のようなかたも出ております。
まあこうしたかたですから、単なるGLAの後継者なんていうのは、口はばったくて私はちょっと言えません。そうしたもんじゃないでしょう。
GLAの教えよりも、はるかに大きなものが集まります。もっと大きなもんなんで、これは後継者といえなくて、やはりたぶんもっと発展させるかただと思います。
私は逆にね、露払いだっただろうと思いますけれども。こういうことがありました。
ただGLA混乱の責任が私にもあるんで、これをなんとか霊言集をいっぱい出して修正したいと、こういうように思っておるわけです。
9.五年後の復活の予言は成就した。かつての弟子たちよ一本化せよ
ですから私のこの本を読んでね、どうか私の死後混乱した弟子たちにね、もう一回ね、一本になって、まとまってきてほしいと、私は強く願ってます。一本になってほしいんです。まとまってほしいんです。
高橋信次がいまね、指導霊をしておることがどういうことかね、かつての弟子たちはわかるはずです。ここをよりどころにして一本にならなきゃいかんのです。
そうしてくれないと、まあ先生、いちおう成仏はしておるけれどもね、ほんとうの意味での成仏はできんのです。
もう九次元で私は落ち着かないのです。いろんな諸霊からいろんなことを言われてね。
孔子様からはね、ずいぶんなことを言われるし、まあ生前孔子様にはね、「いや―孔子様は神界の人です。六次元神界の人です。」なんて私が言ったもんだから、まああの世ではずいぶん、もちろん、きらわれています。当然のことです。
イエス様なんていうのはね、昔イエス様が地上にいたときには、高橋信次っていうのは、まあこういう安っぽい名前じゃなくて、そのころには、いちおうエホバとかいう名前で呼ばれていましたから、イエス様も私のことを父と呼んでくれたことがあります。
しかしいまはね、GLAの混乱を見て、イエス様は私を見捨てたといいましょうかね、「もう父と呼んでやらない。」と。
「私は子ではありません。あなたは父ではありません。私は子でもありません。父でも子でもありません。どちらかというと、私のほうがもう偉いでしょう。高橋信次さんは、まあ、あの混乱を収拾しないかぎりね、もう私たちの尊敬を受けることは、まずないでしょうね。」
横からモーゼが「ウン、そうだ、そうだ。」とうなずいています。
そこで高橋信次が怒ります。「おまえ、なにをうなずいておるか。」とね。「私の指導霊はおまえであったはずではないか。おまえがちゃんと指導せんからこんなふうになったのに、それでうなずくとは何事であるか。」まあこんな話をいろいろやっておるわけです。
まあ話がずいぶんそれましたけれども、けっきょくね、私がいいたいのは、私もイエス様になぞらえるわけではありませんが、イエス様は三日後でしたけれども、私は五年後に復活しましたんでね、私の予言が成就したってことをひとつ知ってほしいんですね。
こういうふうに光の指導霊が出るときには、かならずあとに出てくる人たちのことを予言するのですね。これは、もう決められているのです。あの世の約束なのですね。予言というのをします。
10.ノストラダムスの予言による人類危機の時代
さて前置きがずいぶん長くなりましたが、きょうの本題である予言のほうに入っていきます。ノストラダムスっていう人の予言を知っておられるかたはもう多いでしょう。
五島勉さんという人がいろいろ翻訳を出されて、ひじょうなベストセラーになりましたね。祥伝社から出てずいぶん売れました。みなさんも読まれたでしょう。ご存じのかたも多いと思います。
そしてまあノストラダムスはまあ、一九九九年の七月にたいへんな天変地異があって、人類が滅亡するような恐ろしいことを恐怖の予言書に残しているということになっております。
まあそういうことでこれから、いま、八十七年ですから、あと十二年でね、ほんとうに人類は滅亡するのか、これはもう秒読み段階になってきて、たいへんなんですね。あと十二年で人類おわっちゃうなら、あなたたいへんですよ。
これから結婚なんて、やめたほうがいいですね。結婚したら子供なんて作っていたら、学校上がって、中学校上がる前にもう死んじゃいますから、そういうような殺生しちゃあいけないんです。だからほんとうは結婚なんかできないのですね。だからこれから結婚式場はぜんぶつぶれていきます。
それから生命保険会社ね、これもぜんぶつぶれますね。
みなさん生命保険会社もう早目にやめたほうがいいですよ。一九九九年にみな亡くなっていくのに生命保険、なんの役に立つんでしょうね。三十年満期とか五十年満期でやっとる人いっぱいいますけれど、なんの役に立つんでしょうかね。
そしていろんな人が死んだら、生命保険会社はどうなるんでしょうね。もう払えないと思いますよ。
まあ冗談半分に言っとくと、生命保険会社はいまは儲かっとるでしょうけれども、これからの若い人は、あんまり就職しないほうがいいですよ。たぶん会社がそうとうつぶれると思いますよ。
こういうノストラダムスの予言があるのですからバタバタ死んじゃって、それで保険会社、お金いっぱい取られちゃって保障できなくなってね、つぶれちゃうかもしれませんよ。
そういう意味で、あと十何年すると業界の大不況が起きるかもしれません。まあこれは話半分にいちおう聞いておいてください。保険会社から文句が来るといけませんから。
それでノストラダムスは予言しておりますけれども、じゃあ、そのへんのことをね、ちょっと高橋信次も一発しゃべってみようかと。新しい手でね。その真意はどこにあるのか。そしてそのあとの世界があるのかどうか、こういうことですね。
ノストラダムスはたしかに一九九九年までにたいへんな災害、天変地異、不幸が起きて、人類の大部分が壊滅的な打撃を受けるということを予言しています。これははっきりしているのですね。
そういうことで、まあその事実、そのものについて聞かれるとするならばね、それはあるていどイエスと言わざるをえんのです。これからそうとうな、やはりダメージがあるでしょう。
やはり地震。地震はもういっぱい起きてきますね。地震、それから火山の噴火。これも、いろんなところで起きていますね。アメリカとかね、あるいは中南米ですか、大火山の噴火ありましたね。そういうのがあるし、地震も瀕発(ひんぱつ)しています。
これ以外にも津波、こういうこともあります。干魃(ばつ)もくるでしょう。
こういうふうにあと十年でひじょうに厳しい時期が人類を襲って、その間死者もそうとう出るでしょう。
地震だって、あれはナマズが手加減しておるから、そんなに死なないだけであって、地下のナマズが本気で暴れたら、これは超高層ビルだって倒せるのです。エンパイヤーステートビルだって倒そうと思えば倒れるのです。ナマズが暴れまくったらね。それは倒せるのですよ。
ただ手加減しているからいま、倒れていないだけで、やがてそういうことも起きてくるでしょう。まあこれはあるていどやむをえないです。
11.しかし人類は死に絶えない
ただね、全人類が死滅するようなことはないのです。それが死滅するなら私たち霊言出す意味がないからです。
たとえ出版社のひとつやふたつが炎上したところでね、まあこの本さえ残ればね、のちの世の人たちには福音になるけれども、出版社は炎上したけど、人類もみんな死んじゃって、東京は焼け野原になって、人っ子ひとりもいなくなって猫一匹もいなくなると、なんのために私がいま、霊言集を出しているかわかりません。こんなの意味がありませんから、そういうわけではありません。
もちろん人は残るのですね。だからやっとるわけです。またそのためにやっとるわけですね。残された彼らがようするによりどころにすべき法、これがないからね、霊言集を出しているわけです。
昔ならばそれは、五か条の御誓文だとかね、天皇の詔勅(しょうちょく)だとか、詔(みことのり)とか、いろいろあったでしょうけれども、これからはね、混乱の時代に心のよりどころがなくなるから、いま私たちはこうやって霊言集を出しておるんです。
みなバイブルになるんですよ。これからの人類の。二十一世紀の。
それでまあノストラダムスの予言があるけれども、ノストラダムスは同時に、はっきり言っていますよ。「ヘルメスが甦るだろう。」と。
このヘルメスが甦るというのはどこかというと、東の国というのは日本なのです。まあこのヘルメスというのを文字どおりギリシアの時代の神様と思っちゃあいけませんけれども。
ギリシアの神様というのは、ヘルメスというのは、そうですね、繁栄の神、発展の神であり、芸術の神でもあったかたですけれどもね。ちょうどいま、日本の時期に合っているかもしれませんが、このヘルメスが甦るということをノストラダムスは言いました。はっきりと。
まあこのヘルメスがだれにあたるかみなさん読者のみなさんわかるでしょうけれども、ただそれはね、ヘルメスという個性を持った人がそのまま生まれ変わってきたということじゃなくてね、ヘルメスのようするに生命体がね、この日本に生まれ変わってくるということなんでね。
まあヘルメスの生命体はなにかっていうと、みなさんご存じでしょうかね。
あと、有名なかたは、リエント・アール・クラウド、それからブッダ、ゴーダマ・ブッダ、ラ・ムー、トス、こういう人たちが同一生命体の魂のグループなのですよ。
だからそのグループのなかのだれかひとりが生まれ変わってくるということですよ。そういうふうに理解してくださいね。
こういうふうに、ノストラダムスは恐怖の戦慄(せんりつ)の詩を残しましたけれども、それ以外に希望の原理を入れました。
光の天使たちが地上に出て、世界を救う。そしてヘルメスが末法の世を救い、東の国から起きるヘルメスの繁栄が、やがて世界を救うだろうと、予言しました。
このときに、西暦二千年にこうして私の予言もおわるというふうに、彼は言いました。
なぜ彼の予言がおわるか。
それは新しい、いわゆるヘルメスの時代になって、新たな予言が説かれていくからです。新たな教えが説かれていくからですね。それでノストラダムスの使命がおわったということです。そういうことなんです。
12.この霊言集こそ、未来の黄金時代のためのバイブル
ですから、これから、新しい時代が開けてきます。みなさんその福音のために私たちは、いろんなことを言っておるのです。
まあ二千年、あるいは二千十年ぐらいまでは、いろんな混乱が起きますよ。たいへんな混乱がね。
ただそのあとには、黄金時代が出てきますよ。だんだんに黄金時代が出てきます。これははっきり言っておきます。その黄金時代の基礎になるのは、いま、私たちが出している、この霊言集なのです。
みなさんね、とくに出版社の人もよーく聞いてほしいけども、自分たちの仕事の大きさの、この使命をはっきりわかってほしいのです。
これはほんとうは出版社のかたに儲けてほしいという気持ちはないわけではありませんよ。もちろん儲けていただいてけっこうだし、ビルが建っていただいてけっこうなんだけれども、それだけじゃないんです。目的はね。
これがほんとうにこのかたがね、のちの世の人たち教っていくのです。まず日本の人たちを教っていきます。そしてそこに起きた大きな教えがね、海外に広がっていくんです。もうはっきりしているんです。
昨日もいいましたけれども、東南アジア、オセアニア、そしてヨーロッパやアメリカやそれから中国、ロシア、アフリカ、みんな広がっていくんです。
だから二十一世紀まで、ひとびとの福音になるのは、私たちが出しているこの霊言集なのです。これは、はっきり言っときます私は。
これがバイブルなんです。本当のバイブルになるんです。これがバイブルになって、これからね、いま二十世紀ですけれども、おそらく四十世紀、五十世紀まで読み継がれるのです。まちがいないです。
その間に高橋信次が出した何冊かの零言集はね、一部はなくなるでしょう。破損されたり、あんまりおもしろいことを言っているから、これは偽造じゃないかとかね、いって削られるところもあるかもしれませんけれども、私が残した霊言書の何冊かは、おそらく、あと二千年後ぐらいまで、残っていくと思います。このためにいまメッセージを送っているのですね。
ですからみなさんね、ポスト・ノストラダムスの時代と、大きなことを私言いましたけど、まさしくね、この霊言集の刊行、これがね、ノストラダムスのあとの時代なんです。これの幕開けなんです。幕開けを告げる鐘なんです。鐘の音なんです。警鐘なんです。まちがいないです。絶対にまちがいないです。これだけ私は言っておきます。
この私たちの霊言集こそ、ノストラダムスのあと残って時代を創るための書物なんです。ですがらいまね、初めてこの本が出てすぐそれを書店で買って読んでおるような人たちっていうのはね、ひじょうに感覚の鋭敏なかたですね。いまこれがわかるなら。
ぼんやりしておる人というのは十年、二十年たってから、読むんです。
これが出て、すぐに読む人というのはね、それだけ感覚が鋭敏だし、すばらしいことです。
だから私は前半でね、GLAの混乱の話をしましたけれども、早くみんな一本にまとまってね、この救世運動に参加してほしいと思います。かつての弟子たちも早く一本化してきてほしいと思います。
どうか、そういうふうに思っていますので、みなさんも私の教えをしっかり聞いて、そして一日も早く悟ってください。お願いします。