目次
1.魂の本体と、五つの分霊説と群魂説について
善川 私は最近『シルバー・バーチ霊言集』を読みましたがモーリス・バーバネル氏を通して語られた過去五十年間における、インディアンのシルバー・バーチという古代霊の語ったところの記録ですが、その内容においては、私の知る限り、大筋においてその論理は、「正法」、「神理」に沿った線で貫かれていると思いましたが、その間に一、二点、まだ納得し難いものがあると思うのですが、お尋ねしてよろしいか。
日蓮 どうぞ――。
善川 その一つには、シルバー・バーチは「群魂」説を明らかにし、個々の魂が死後において、類は類によって集まるという法則に従って、群魂となって一つの大きな魂、集団の中へ没入してしまうのだ、ということですが、これは、かつて高橋信次先生が説かれた、魂の兄弟、即ち五体の分身説とはかなり異なる意見と思いますが、死後においても魂は個体と申しましょうか、個別の個性霊として各個に存続するものか、或いは一塊の魂群団を造るのか、これはどうでしょう。
もっとも、その魂の進化程度によっては、或いは動物霊に近いような未発達霊にあっては、一塊の群魂として存続するということは、仮定としては考えられないこともないのですが、この辺いかがでしょうか。
日蓮 まず言えることは、今の質問は、あなた方の目指す方向には、さほど意味がないということです。
どちらかと言うならば、興味本位に近い質問です。どちらでもよいのです。そんなことは。あなた方は、現在生き、これから生きていく人類のための哲学を作っていくことです。群魂であろうが、分身であろうが、そんなことは言って分かる人は居ないのでありますし、高橋さんは、いろいろ説いたかも知れませんけれど、あまり本質的なことでもないのです。分身があろうがなかろうが、みんな「神」から分かれた魂でありますから、あまり関係ないのです。
そもそも、創り方がどうであるかということ、みんな一体なんです。すべてが魂の兄弟であり、すべてが神から分かれてきているのです。果たしてそれが五人でできているか、群魂でできているかというようなこと、それは追いおいに、明らかになっていきます。そのためには、あなた方は、もっと、もっとケース・スタディが必要なのです。さまざまな霊たちを通じて、さまざまなことを学んでいく必要があります。それにもう一つは、霊界の法則、霊界の科学法則というもの、まだまだ、あなた方は、基本公式を充分に知っていないために、その公式に基づいたさまざまな現象が理解できない。そうしたことを一つひとつ、学んでいってもらわねばなりません。
群魂とか、分身、本体ということについて私が言うこと、そういうこともあり得ます。どちらか一つが真理で、どちらか一つが真理でないということでもあります。
もっと大きな視点に立って、真理が分かった人なら、そうした質問さえ出てこないということです。
あなたは、まだ三次元的発想にとらわれているんですが、残念ながら私は、あなたにそれを充分に理解させることはできません。
なぜなら、あなたはそちらの世界に居るからです。あなたが私たちの世界に来たならば、そういう質問も出なくなるのです。
2.人類の起源はどこからか。円盤による転移か、進化論によるか
善川 いま一つ問題点として残り、納得しかねることは、人間の起源についてでありますが、一体人間は、どこから来たのであるか、或いはまた、何から進化してきたものであるか、という点です。
一つには、人間の魂は、神によって神に似せて創られたものであって、この地球上に現われたのは今から数億年前に、他の惑星から何回か集団で円盤により飛来したものであるという説と、いま一つには、進化論が説く、最初はアメーバから、魚類、両棲類、爬虫類へと進み、哺乳類から漸次進化して今日の人類の祖先に至ったとする説。その肉体の進化過程において魂もまた進化してきたものであるという考え方をとる両論がありまして、シルバー・バーチをして語らしめているハイ・スピリットの意見としては、後者の進化論をとっているようでありますが、果たして、前者説による他惑星からの転移説が正しいのでしょうか。それとも後者の進化論が正しいのでしょうか、お伺いします。
日蓮 これも、私は、単純に今、結論を申しません。なぜなら、あなた方は、ひじょうに単純にものごとを考えすぎる。これしかない、と考えてしまうというところがあるから、もっと勉強してみてください。もっと動物霊なら動物霊、或いはいろんな人間がおりましょう。霊たちと接している時に、段々に分かってきます。"日蓮" が言ったら信じるわけですか。私が「進化論」をとれば、そうなんですか、私が反対すればそうなんですか、どうでしょう……?
善川 それはそうですが、まあいずれにしても、このシルバー・バーチの説く法は、合理性が高いように思われるわけなんです。
例えば、何百、何千万、或いは、何億という人間が、肉体を持って異星から転移してきたというようなことは、およそ考えられないような状況なので、あなた方一部の人びとが、いわゆる光の天使といわれる方々が転移してきて、後は下等動物から進化してきた人間、或いは堕落すればまた、元の動物霊に返されるのだというような人間がいると、理解されるのですが。
日蓮 どちらに答えても、やがて後世に害を及ぼす答えとなってしまいます。どちらに答えても害を及ぼす答えとなります。
もし、私が今、進化論をとり、それに賛同することを言うならば、あなた方は、いろいろな宗教の排撃をうけることになります。
もしまた、進化論を排除して、円盤飛来説をとるなら、さてまた困ることがいろいろと、起きるでありましょう。私たちは、そこまで考えております。
それと、もう一つは、今の質問は、菩薩には、関係のない質問だということです。これは私の上にある「法」なのです。
善川 それは、そうでしょうけれども、私たちが、この現象界に生存することの根元的な起源の証を求めたいという心は、私ならずとも、人として自然の願いとなるのではないでしょうか―。
日蓮 では、どちらを言えば、あなたは納得するんですか。
善川 私はやはり真実性があるとすれば……。
日蓮 どちらでも結構です。あなたがそう思えば、そう思ってください。進化もあれば、移住もあるんです。当然のことです――。そんなことは、大人が目くじらを立てて言うようなことでもないし、言ったところで証明ができることでもないし、世の人びとを納得させることができるわけでもないのです。
どうでもよいのです。そんなことを言っていると、SFかなんかのように思われて、あなた方が眉つばをつけてみられるのが落ちです――。あなた方、一方においてはキリスト教会と全面戦争するつもりはないでしょう。止めておきなさい。
善川 しかし、いま一点、これだけはどうしてもはっきりと明らかにしておかなければならぬ問題としては、私は人間の輪廻転生の法則というもの、これは神がわれわれ人間に、厳然と課しておられる霊的進化の法則だということを――。
日蓮 言わねばなりません。当然のことです。もうそんなことは、あなたが考えて、あらゆる機会に、あらゆる表現方法で人びとに説きなさい。
3.過去のことは歴史学者にまかせておけばよい、要はこれからの人類がいかに生きるかにある
日蓮 ――要は、こういうことです。地球の歴史は、たかだか三十億、四十億年です。それ以前にも「神」はあり、神の分けみ魂があり、人類に相応するものは、あったということです。しかし、地球ができてから、地球にも生命が誕生したということ、この二つを考えてみるならば、結論は見えるはずです。しかしそれは証明ができない。あなた方には、証明の材料はないのです。私が言ったところで、権威もないのです。それをどうとるかは、あなた方のご自由です。しかしながら、本質的なことでないと、私は思っているということです。
円盤で来ようが、進化しようが、いいのです。どちらでも。それは、歴史学者みたいな、魂の歴史学者にまかせておけばよろしい。あなた方のやるべきことは、既に済んだことではなくて、これからの社会をどうするか、ということにあります。一生つくしても時間は足りないんですよ。
善川 そういう意味では、先般インドのマハトマ・ガンジー翁から、これから二十一世紀に向かっての世界の政治経済のあるべき姿等についてご意見をお聴きしましたが、今後も、政治経済担当の天上界の諸霊からのお教えを伺いたいと思っております――。
日蓮 私の言いたいことの本音が、まだあなたには分かっていない。例えば、進化論というものをとって、人間は動物から進化して、そこに魂が入ったものだと考えるとしたら、あなた方の宗教もそういった一つの宗教になってしまう。
これを論証するために、さまざまなことを、やっていかねばならぬようになるのです。
円盤飛来説をとったら、また、この論証もできないのです。これもまた敵を一杯つくります。そういう証明できないことのために、わざわざ問答を起こし、論戦を起こすよりは、もっと建設的なことのために、力を使いなさいということです。そんなことは、どちらでもよいことなのです。
また、魂の進化論をとったら、動物から人間に来たと、あなた方が言ったら、それはまた、さまざまな宗教者たちとの軋轢(あつれき)を起こすでしょう。
円盤飛来説もまた然りであります。これもまた、あなた方が言っていることが、絵空事であって、全然根も葉もないことだというふうに、言われるようになるのです。それがもう見えているのです。
あまり気にされないことです。本質的なことでない枝葉に、あまり入らぬこと。枝葉の争いで、さまざまな、将来あなた方の意見を信ずるべき人が、それを聴いただけで信じなくなるような、そういうような枝葉の争いは捨てておくことです。
そうではないですか、地球が無い前だって神はおられたし、神の魂、神の創られた生命というものは、宇宙にあったのです。あたりまえのことです。
地球が出来た時に、すべての生物が地球に飛来したわけではない。地球を一つの霊場として、いろんなものが生まれたのはあたりまえです。考えれば分かることです。けれども、そうしたことに深入りすると、違った道に進んでしまうということです。
円盤飛来説を言っても、証明できません。絶対にできないのです。しようがないんです。それを聴いただけで、アレルギーを起こす人が出てきます。進化論にして然りです。俺は、ゴリラから出てきたのかという人が出てきます。宗教家の中で、それだけで、あなた方が説いていることすべてが、否定されるようなことも出てくるのです。そうであるなら、そうしたことにあまりかかずらわないことです。
そもそも、この地球自体が、「神」の生命から生まれたものなのです。
他に何かあなたの意見があって、私に、いま少し聞きたいということはありませんか。
善川 まだ、いろいろ考えてみたいこともあるのですが、今は、特にありません。今までのお訓えを静かに、自分自身の中で、充分咀嚼(そしゃく)してみて、私自身の血肉とていきたいと考えますので……。
日蓮 結構です。結構です。それが私の願いでもあります。私は、まだまだあなた方が選択のとれるような言い方をしているんです。私としては、こうしなさい、ということが言いたいのです。けれども私は、それを言いません。あなたが、いろんな選択のとれるような言い方をしているのです。それも斟酌(しんしゃく)しておいてください。
先程も申しましたが、「日蓮」がこう言ったから、あなた方がこうしたというのはできるだけ避けたいのです。根本的な精神論、規範論については、私の意見を申しましょう。しかしながら、あなた方の行動の中において、いちいち私が具体的な指針を出すことは、これは避けるに越したことはないのです。
そうしないと、くどいようですが、これはもう何年も前から、私が繰り返し言っているように、あなた方自身の学習と自らの体験によって獲得した、神理把握の力とはなっていかないからです。