目次
3.精神的円熟期
4.悔いのない人生
(1989年2月13日の霊示)
1.試行錯誤から自己確立へ
高橋信次です。今日は朝から連チャンで三本目です。本書も長らく雪の下に眠っていたんですが、日に日に完成に向けてぼくはやりはじめました。よかったですねえ、やっとやる気が出てきました。『やる気の革命』として私も新春早々始めたけれど、途中でやる気が飛んじゃって、まあいろいろやってましてね、いろんなことやっていて、とうとう今ごろになって仕上がってきました。申しわけないけど、ニュートンさんより先になっちゃいまして、後からお先にっていう形になりましたね。
さて、この最終章では理想の人間像ということで話をしておきたいなあと思っています。この理想の人間像というのは、もちろんいうまでもなく、私が見て理想の人間像ということですね。まあ地上の人間に期待すること、みなさん方にこのようになってほしいということ、この課題をね、あるいは宿題を私のほうからみなさんに差し上げたい。こういうふうに思うんですね。ですから『やる気の革命』でどういうふうに自分を改革してやるかなと思うけど、どうしたらいいかサッパリわからない人は、これから私が言っていく理想論、人間像、これを見つめてね、そして、そういうふうに自己の変革をしていってほしい。まあこういうことです。
理想の人間像といっても、それぞれの人の置かれた立場が違うと思うので、時間が足りるかどうかわからないんだけど、その人の年代順でね、ちょっと話ししてみようかなと思います。
まず二十代について話をしてみたいと思います。これは男女ともある程度共通の話題になると思うんです。二十代のみなさんに、私は人間修行として何を望むか。これをまず言っておきたいんですね。これはねえ、男女ともそうなんですが、けっきょく、二十歳から三十までというのは、これはある意味での自己確立期ですね。もちろん自己確立は一生続くものですけれども、三十歳までが第一段階、すなわち社会に出ての自己確立期で、三十歳までにある程度その人となりの基盤といいますか、人格の基礎はだいたい固まると思っていいわけで、将来大成していくような人は、その三十になるまでにある程度、片鱗(へんりん)が出てきているんです。
女性であれば、もうだいたい見えてくるというのは三十だと思うんですね。もちろん、晩年どんでん返しはありますよ。パパが意外に偉くなったとかね、意外に子供が出世したとか、そういうこともあるでしょうが、女性としては三十ぐらいまでにだいたい先が見えるようになってきますね。
男性の場合は、もちろんこれから紆余曲折(うよきょくせつ)あるけれども器が完成してくる、まあこういうことがいえるんですね。そうすると、二十代にやっておくべきこと、それは、器の設定ということになると思うんだ、ぼくはね。器の設定、その器の設定とは何かというと、あなたはどういう人生を生ききりたいか、あなたが生きたい人生、これについての設計図を持って、そしてそれに必要な自分をつくるための努力をしておく。これが二十代に要求されることだ、とぼくは思うんですね。
だいたいこの二十代に関心を持たなかったことを、三十過ぎてから関心を持ち始めるというのは、きわめて稀(まれ)です。三十過ぎてからも、いろいろ関心の領域を広げていくことはあっても、その端緒といいますかね、きっかけは二十代ぐらいまでにもう出てきています。ある意味ではその人が夢中になりそうなことっていうものは、この二十代で出てきていますね。たとえば車が好きな人とか本が好きな人とかね、音楽の好きな人とか、旅行が好きな人とか、山登りが好きな人、スキーが好きな人、女性が好きな人これは中年以降もあるかもしれませんけども、こういう傾向性がね、出てくると思うんですよ。
そしてね、自分が見えてくる時期でもあるんですね。二十歳ぐらいだとまだ大学の学生やってたり、高校卒業してまもないころで胸いっぱい、期待いっぱいなんですけど、次第しだいに卒業期あるいは社会人になってきて、自分の理想が揉(も)まれて打ち砕かれ、現実の厳しさを知るわけですね。大学の最高学年だった人が社会人になって、一年生になって、ソロバンから教えられる。それから足し算、引き算もできないのかっていって怒られ、人間関係が全然できていないって言われ、女子社員の扱いができない、あるいは女子社員ならば男性の上司ね、これとのうまいつき合いができない。こういうことがいろいろあるわけですね。そして、苦しみをつくるわけですね。
ここで厳しさはね、二十代の前半においてみんな経験することは、実社会というのを今まで教わったことがないってことですね。学校では実社会は教えてくれないんですね。学校では勉強ができていい点取ればそれでよかったんだけど、実社会というのは教えてくれなかった。それと、同じ年齢ですね、同年代の集団であったということがあるんですが、実社会に出てから年齢層が違うんですね。ずーっと上から下からいっぱいいるんですね。いろんな年齢があります。とくにまた男子校や女子校で育った人は、実社会に出てからの気苦労があります。わからないって、異性が見えない、わからないっていうことはありますね。
それとこの時期に特徴的なことは、庇護というかね、自分を守ってくれるものが去っていくことですね。実社会に出始めると親が守ってくれなくなってくるんですね。学生時代は勉強さえできれば親はいい子だって言って守ってくれたけど、これから自分で食べていかなきゃいけない、稼いでいかなきゃいけないっていうのはたいへんなことだし、その会社のなかで息子はいじめられたところで、しごかれたところで父親や母親が出ていってやったりしたら笑い者になってしまいます。あくまでも自分で受けて立たなきゃいけないんですね。
女性であればすぐ結婚したとしても、二十代の前半でそこでご主人とうまくいくかいかないか、それはもう親はほんとハラハラドキドキして見ているんだけど、まったくわかりませんね。そして、嫁入り先でもしいびられたとしても、それを里の親があまり口出しすると、これはたいへんな問題になってだめになりますね。それで、女性にとってはポピュラーな例としては、嫁にいくというのが一つの社会人になるということになるんですね。今まで自分が選べた人間関係がこんどは選べなくなってきて、そのなかで生きていかなきゃいけない。やはり覚悟がいるんですね。
それで男女ともに共通のことはね、それが一生を通じての自分の生活の糧になるというとこなんですね。父ちゃん、母ちゃん、死んでいくんですね。いつまでもできないし、息子、娘が社会人になるころにはだいたい定年が近づいていて、先が見えているんですね。五年、十年しか生きないって、自分は三十になるころまでには父ちゃん、母ちゃんの収入がなくなる、負けが見えるんですね。大金持ちであったとしたって、その財産を食いつぶして生きていくわけにはいかない。まあ、そういうことで、先に自分の設計、あと三十年後、五十年後を考えたときに、自分なりにやっていかねばならんという問題があるんですね。
このときに、何ていうかね、大人になりたくないっていう、今流に言うとモラトリアム人間でしょうか、執行停止人間ですね、執行猶予人間で大人になりたくないっていうのが多いんですね。大学だと留年する。女の子だと嫁にいかない。いつまでも嫁にいかないでいる、いっしょなんですね。嫁にいかないでいる娘というのは大学で留年している学生諸君と変わらないんです。就職しないでブラブラしている。あるいはオーバードクターもあるでしょうね、いっしょなんです。両親の庇護、社会の庇護を受けていたい、自分一人で外の世の中の雨風に打たれたくないという気持ちですね、大人になりたくないっていう気持ちが強くなりますね。
ただね、ぼくは言っておきたいんですよ。いったん学校・学齢期が終わってね、社会に出たということは、これは一生、自分の一生を築いていくことなんです。もちろん職業を変えることはできるかもしれない。とりあえず自分が就職した先、自分が始めた仕事というのは、これを一生の仕事と思ってまず中心にすえなきゃいけない。この中心にすえることをまず間違えないことだね。一生の仕事、女性の場合には結婚の相手の選び方、一生この人についていけるかどうかを思うことですね。これはやっぱりかなり大きな修行です。けっきょく、男性の就職試験といっしょのところがあって、就職先によって、ほんと大企業、中企業、小企業あるいは没落企業あるんですね、これはわからないんですね。就職のときにはいいと思ったのが、しばらくすると会社がつぶれちゃった、倒産しちゃったというのは、出世頭だと思って結婚したところが、とんでもない食わせ者になってしまったとかね、事件を起こしたとか、まあこんなのといっしょでしょう。このように厳しいんで、ここでまず試されることは、もう父ちゃん、母ちゃんの目が当てにならなくなってくるんですね。自分自身の目で判断しなきゃいけない。そして、その結果について責任をとらなきゃいけなくなる。まあ、こういう時期ですね。男性にとっても、二十代後半には結婚という段階が控えているでしょう。そう思います。
そこで、ぼくはこの二十代の男女に言っておきたいのは、やはり苦労は買ってでもせよと昔からいいますけど、このことだと思うんですね。この二十代というのは、まだ試行錯誤が許される段階なんですね。三十過ぎると社会に責任がもっと出てくるから、試行錯誤ができないんだけど、二十代というのはまだ許される部分があるんで、この時期に、いろんな苦労を買ってでもせよということで、逃げてはいけない。積極型人生っていったけども、逃げたらいちばんやりやすいんですね。もし失敗してもやりなおしがきく、これが二十代ですね。
だからここに、この時代にチャレンジ精神忘れちゃいけないと思うし、どうですかね、リスクを負って自分で行動してみる、体験をしてほしいと思うんですね。たとえば海外に行く、海外旅行あるいは留学などもそうでしょうし、あえてそういうところに挑戦してみる、あえて自分が不向きだと思うことに挑戦してみる。とにかく、自分が今まで敬遠していたこと、食わず嫌いにしていたことに挑戦してみる、だいじなことだと思います。頭からきめつけて、自分はこういう人間なんだから、こういうことは向かない、これには向いているが、こういうことには向かないときめつけている人ってものすごくいると思いますが、それはたいてい自分がね、二十歳になるまでに親に言われた人生観だとか、友人とか先生に言われた人生観、それを持ち越していることがほとんどなんですね。
実際、社会に出ていろんなことを経験してみると違うことがけっこうあるんです。それはね、いよいよ人生という大海に乗り出していったときにね、親や先生や友人たちであっても、その人生の達人とはいえないんですよ。それらの人の範囲で、生活の範囲、経験の範囲で語っているのであって、すべてではないんです。学生のときには親が言ったということは、もう天皇陛下が言ったような感じかもしれないけど、社会に出たらそうではないんですね。人生にやっぱり有段者があって、それぞれなんですね。だから、初めての経験をします。それと実社会に出るとね、自分の親より偉い人と会えるんですね。これはいえる。学生時代に親ってとにかく偉いもんだと思ったけども、実社会に出てみるといろんな人がいて、社会的にはやっぱり功なり名を遂げた人がいるんですね。それだけの尊敬を受けてそれだけの立場にある人はやっぱり何か持っているわけですね。これは家庭のなかで得られないものですね。こういう人を見る、これもだいじなことですね。そして差を知るということ、自分との差を知るということはだいじなことで、差を知るということによって目標が立ちますね、こういうことです。
だからぼくは二十代、特に未知なるものの経験、この苦労は買ってでもせよという考え方がだいじだし、次には自分の理想像を追い求めるということね、理想像の設定、これをしてほしいと思います。実社会には求めれば、求めて求めてすれば立派な方はいらっしゃいます。自分が少なくともとりあえず目標にすべき人がいると思います。それを求めることです。職場になければ、職場の外に求めることも可能です。必ずいるんです、そういう人がね。それを求めて、自分の理想像をつくること。そして、理想像に向けて三十歳になるまでの間、できるだけ器を広げるべく努力することですね。これがだいじですね。食わず嫌いはやめて、器を広げることですね。たとえば運動好きの人であれば、それだけで生きてないで、もっと読書に励むとか、読書好きの人であればもう本の虫になるだけではなくて、もっと行動的な生き方も経験してみるとかね、こういふうにして器を広げるだけ広げてみる、だいじなことだと思いますね。
そして、このときに広げた器がね、のちに中年以降何かのきっかけになったり、とっかかりになるんですね。おそらくそうだと思います。その時期に完成はしてなくてもいいんだ。とりあえずとっかかりがあればね、次の段階に進んでいくことができます。ですから、整理して言いなおすとすれば、二十代にはまず苦労は買ってでもせよと、チャレンジ精神忘れず、新規なものにぶつかっていけ。二番目は社会を見渡して自分の理想像、尊敬できる人というのを見出しなさいっていうことですね。そして三番目にあえて言うとするならば、一番目とある程度重なるかもしれないけれども、関心領域を広げるだけ広げておけ、これがみなさんの器を広げるということと同じになっていくんだということですね。この時期に関心を持ったことというのは、やはりその後続いていくということです。いろんな形でね。だからこの三つだけはしっかりやっておいてほしい。そう思います。
青年についてはもっともっと言いたいこといっぱいあるけども、それはまた改めて話をしたいなと思います。
2.飛躍・拡大の壮年期
十年ずつほんとうはやりたかったけども、時間がなくなっていきそうな気がするので、三十からそうだね、四十代、三、四十代について次に話しておきたいと思いますね。
三十というのは男はやはり二人前になる時期だと思います。会社を退めて独立するのでもだいたい三十ということがいわれます。それから、まあ学問をやってても学者なんかでもだいたい三十である程度実績ができてくる。こういうふうにいわれますね。まあそんなもんです。サラリーマンであっても仕事が手についてくる。入社して七年あるいは八年たって、仕事が手についてくるころですね。中堅です、中堅になって、ある程度まかされてくる時期だと思います。
同時にこの三十という時期は男女とも、結婚をだいたい終える時期ですね。女性はもうだいたいしていないと、もうこのごろしていないとちょっと、もうあと奇蹟ですよ、もうあとは奇蹟の世界に入っていきますから、だいたいしていると。あと男性はまあ、晩婚も最近増えてきているけどね、三十ぐらいになるとだいたい八割ぐらいの方は終わっているだろうというふうに思いますね。浪人とか留年、あんまりやった方はまだちょっと遅くなるかもしれませんが、だいたい三十前後。というのはこのころはね、収入がある程度固まってきて、嫁さん貰えるころでもあるんですね。意外にみなさんね、自分の理想の女性求めて相手がきまらないなんていって、やる方もいるんだけど、実際意外なところで、原因は経済力の問題だったっていうことはあるんですね。お金があればね、かあちゃん、子供養える自信があれば、意外にパンときまるものがね、その自信がないものだから、ああだこうだ言いわけしているんですね。顔つきが気にくわないとかね、もうちょっと目が大きいのがいいとか、髪が長いのがいいとか、足が細いのがいいとか、けっこう言っているのですが、ほんとうはそうじゃないんで、自分の収入が足りないだけなんだけど、そう言うことはできないんだね。そういうふうにきめつける。まあそういうことがあるわけなんですね。
それと、次に言っておきたいことは、まあ家庭という問題ですね。特に三十代、家庭という問題はみんなが経験することだと思うんで、この家庭というもので自分は実は両親からどういうふうな恩を受けていたか、これを経験しなおすんですね。両親から与えられていたもの、これはいったい何であるのか。これを知るということなんですね。これはね、実際経験してみないとわからないんです。親の恩というのは、自分が親になってみないとわからないんですね。どれほどたいへんであったか、自分は当然だと思っていたことがね、実は当然ではなかった。自分のお父さんやお母さんが自分に対して気配りしていたこの気配りがね、どの程度のものだったか、きわめて努力してくれたのか、普通ぐらいだったのか、全然努力しなかったのか、これがはっきりわかるのが自分が人の親となったときですね。このときにはっきりわかります。こんなに大変だったんだなあということがわかります。いろんなところで苦労したんだな、金銭的な苦労もあるし、それ意外の気配りもあるしね、いろんな意味で世間の防波堤になってたんだなあということがわかります。
だから三十以降の世界は、自分も子づくりして、それで経験を広げる時期でもあるけれども、あとは両親に対する孝行の時期でもあると思うんですね。だいたい三十代にしておかないとだめでずよ。三十代にしておかないと親は死にますよ。あと持たないですから、四十になると親はだいたい七十ぐらいになってきますからね、七十、八十になってきますから、もういずれ遅かれ早かれ逝(い)ってしまいますから、親孝行するなら、もう三十代には始めなきゃだめですよ。二十代はまだ自分の好きにしていいけども、三十過ぎたら親孝行を始めるということはだいじなことで、それは考えておきなさい。いいですか。親孝行したいころに親はなしっていうでしょう。それでね、三十ごろから経済力がつき、子供ができ家庭が固まるんです。この時期に親孝行をしておきなさい。そうするとね、もうろくする前に喜んでくれます。この時期にしておけば、もうろくする前に喜べますね。それはねえ、いろんなときに親にプレゼントしてやったり、お土産買ってやったりすることも当然だし、それ以外に、もう現役引退、親がし始めたらね、いろんなところに連れていってやる。いろんなことを、今まで経験しなかったようなことをさせてあげることですね。そして、「ああ、娘や息子を育てておいてよかった。ああ、こんな楽しみが老後にあるとは思わなかった」これを言わさなきゃいけないんですね。
こういうね、やっぱり三十代で親孝行できるかどうかということは、その人が成功したかどうかの一つの指標になると私は思います。成功していない人はできないです。まず、そういうことです。ただ自分が成功者かどうかは測る目安がいろいろあると思うけど、たとえば三十代で親孝行ができたかどうか、見たらわかります。成功していない人はできていません。絶対にね。だから三十代で親孝行できたという実績があれば成功者の部類に入っている、そういうことですね。だから別に大企業に入ることだけが親孝行でもないしね、魚屋、八百屋を継いでも親孝行の人もいるんですよ。それはいるんです。だから、まずこれを一つの指標にしてくださいね。
それから四十代に入ると、ほんとうに自分の器というのがはっきり固まってくる時期ですね。課長で終わるのか平で終わるのか、あるいは部長までいけるのか、役員になれるのかもう四十代これ勝負ですね。男としてのだいたい仕上げの時期にかかってきているわけですね。女性であれば四十代というのは、子供がだいたい受験期ですね、受験、卒業を迎える時期になってきますね。女性としてもやはりこのへんは仕上げの時期になってくるんですね。だから男女共に自分たちの人生の点数がある程度きまってくる時期なんですね。何点ぐらい取れるのか、五十点なのか、六十点なのか、八十点か九十点か、これが見えてくるのが四十代と。だいたいあとよっぽど逆転をやらん限りはそう大きくは変わらないぞっていうのが四十代ですね。
男はこの四十代で大きく伸びるというのがポイントの一つですね。三十代で親孝行ができるというのも一つだけど、小さな成功だけど、大成功者あるいは社会的に功なり名を遂げるためには、この四十代の飛躍というのはぜひとも必要ですね。この四十から五十に飛躍しなければ次のステップはない、まあこう思って間違いないと思います。
したがって、二十代からせっせと勉強し努力して働いてきたこと、この成果はこの四十代に出てこなければだめですね。この二十代に器を広げるだけ広げていたのが、役に立つのが実は四十からなんです。それは、それまでそんなに大きくは役に立たないかもしれない。しかし、その器を広げたということは四十過ぎて大きく役に立ってくるようになります。
これはなぜかというと、その時代からだいたい管理職に入るわけですね。管理職というのは人のめんどうを見る仕事なんです。部下ができるんです、必ずね、人のめんどうをみる。このときに器の大きさが測られるんですね。自分のことしか考えずに生きてきた人には、人は使えない。人を指導できないです。ただ、若いころから人に使われている身分であっても、将来人の上に立ったときにこうするということを目標にして努力研鑚(けんさん)してきた人はこれはだいじですね。だから四十以降でその人の器が試されるんです。
けっきょく、四十から五十の間で出世するかどうかというのは、この器にかかっているんですね。三十代までの仕事の評価というのは、個人の能力がかなり大きいと思います。個人の能力として有能かどうか。有能であれば課長までいくと思いますね。タタッタッタッタといくと思います。ただ四十からあとは違う、人が使えるかどうかだ。これがその人が出世できるかどうかの違いで、たとえばオーナー社長、あるいは自分でつくった独占企業、独占企業というか、自分が経営する、そういう社長であってもね、この会社が発展するかどうかは、人を使えるかどうかにかかっているんですね。人を使えない人、五人や十人しか人を使えない人はやっぱり零細企業の社長にしかすぎないし、百人使える人はまあそこそこの中小企業のね、百人、二百人、あるいは千人、一万人と使える人もいるんで、一代で一万人、三万人使うような会社をつくっている人もいます、世の中にはね。それだけの器だろうと思います。だから四十からあとは、どれだけの人を使えるか、あるいは別な言葉で言えば教育できるかということにかかっているんですね。
だから四十までは、これだけの人を使うためのストックづくりなんです、けっきょくね。多くの人を指導していけるための、この指導のノウハウづくり、ストックづくりなんです。ここからが差がつくんですよ。四十までの出世の速度はそんなに関係ありません。みなさん、いいですか。それは頭の回転が速いとか、しゃべりがうまいとか、文章を書くのが速いとか、英語が堪能だとかいろいろあるでしょうけど、四十から先は違うよ。人間としての実力、総合力がものをいうんです。この時期に飛躍しない人は、あとはありません。絶対にね。
女性もそうだね、この時期でやっぱり自分なりの人生観というのをつくって、息子・娘を教育する時期ですね、奮闘して。そして社会人にしてやらねばいかん。それとこの時期がパパがいちばんだいじな時期ですね。管理職になっていって仕事が厳しい、ストレスの多い時期で、このへんで無能な奥さん持っていると偉くなりません。奥さんが家の愚痴ばっかり言ったり、だんなさんの悪口ばっかり言ったり、足引っ張ってばっかりいたら、まず偉くなれないですね。この時期がいちばんつらい時期なんで、どうやって支えてやろうか。これがだいじなんですね。これを考えなきゃいかんですよ。だから、このへんで若いころのツケがまわってくるんです。
若いころにいい奥さんもらっておけば、この四十以降で花開くんですが、できの悪いのもらって、そのあとの教育が足りないと四十から五十の間で足を引かれます。なぜかというとこの時期がいちばんきついです。子供の受験期、それから就職期がきて、奥さんはストレスが多いんですが、それ以外に旦那さんは仕事のほうのストレスがある。子供のことと、仕事のことと両方で板ばさみになるんですね。そういうことです。
3.精神的円熟期
それから五十以降ですね。五十から六十というのはだいたい円熟期ですね、円熟期。四十から五十で大いに伸びた人は、この五十から六十の円熟期で一段と光沢を増すし、女性であればね、そこまでの五十年間である程度いろんな経験をして、そして旦那とともに成長してきたらね、五十以降は豊かな女性ですね。そう、成功したという雰囲気がただよう、あるいは何ともいえない美しさ、したたかさ、豊かさ、こういうものがただよう円熟した女性になっていきます。子育てもある程度終わってね、自信が出て、実績、社会に対してちゃんと還元した、旦那も出世させた、家庭をしっかり守ったし、女性として自分も教養を身につけた、こういう実績があるんだね。これで五十代、豊かな女性になります。この間、精神衛生が悪く、ヒステリーで生きてきた方は額に筋(すじ)が立ったりトウが立ったり、いろいろして変形して、いやらしい険のある顔になりますが、この間美しい心で生きてきた方は五十すぎても、みずみずしさがある。どこかほのかに香るようなそういう女性になってきます。馥郁(ふくいん)とした女性ですね、まあこういうふうになってきますね。
さて、六十から先というと、いよいよ隠居期が入ってくるわけですが、第二の人生送る人もあります。そのほかいろいろあるでしょうが、六十からあと七十、八十ですね、この時期というのは人生の最後の完成期に入るわけですね。六十でだいたい会社からはお別れになるでしょうが、この時期に自分がほんとうの仕事人間、会社人間だけであったのか、この自分の人間としてのオリジナリティーが問われるんですね。この時期にね。仕事がよくできたが、それが代替性のある仕事、ほかの人にとって替わる仕事をやっていただけにすぎないなら、六十すぎてからカクッとふけこむことになります。
しかし、そういう仕事をしながらもさまざまな能力を身につけ高い識見・教養がある人はね、六十という時期を迎えても、また第二の豊かな人生が開けるようになってきます。できれば、私はこの六十代に何らかの精神的活動ができるような、そういう素地をね、若いうちからつくっておいていただきたいなあと思います。何らかの文学的趣味、あるいは芸術的趣味、そのほかの部分でも結構ですが、六十以降に豊かな精神的開花があるように、その仕込みをね、早いうちからできるだけやっていただきたい。
そして、実はこの六十から七十、八十という間はきわめてだいじなんです。それは次はあの世しかありませんので、あの世へいく前の十年、二十年なんです。この時期が幸わせで穏やかで豊かであれば、あの世へいってもいいところへ行けるんですが、晩年が不遇であれば、やはりその死ぬ前の心境ってきわめてだいじなんですね。このときに、子供が失敗していったり、親に背いたり、事件を起こしたり、あるいは会社を寂しく去って資産もなくということであればかなりつらいです。だから豊かな晩年を送るためにね、布石を打って努力しておくこと。
まあ六十以降は、次は自分の子供たちの成長っていうのが、きわめて楽しみになりますね。優秀な子供を育て終えて、そして社会に対して終えたという実感があればね、これは六十以降もけっこう楽しいです。また、そのぶんだけ心が虚ろになることもありますから、ここで心得るべきことは何かというと、今まで手塩にかけて育てて、そして優秀な子供にして、そして社会に出したとしてもね、今度は子供によっかからないということですね。これだけを生きがいにしてしまったら、今度は子供たちにとって重荷になってきますし、成長を妨げることになります。ここでね、やはり巣立つときというのがありますから、この子供が巣立っていくときにはね、やはりある程度の距離をとってやること。そして、老後の趣味というものをしっかり持っていくこと。自分の第二の人生を設計しておくこと。そうすればそんなに迷惑をかけなくてすむね。ここのときに今までいい父親、母親であったのが、子供が独立しようとしたらこんどは独立を妨げる、そういうことであってはいけない。たとえば、娘が嫁にいこうとすると邪魔をする、絶対いかせないように一生懸命家に縛りつけておく、こんなことであってはやっぱりだめですね。自分の楽しみだけのためにそういうことをしてはいけない。かわいい娘であればあるほど縛りつけたくなるんだけど、そうではいけない、勇気をもっと出さないといけない。息子でもそうですね。息子が結婚をする段階になると結婚の邪魔をする、いやな嫁が来たら息子が独立して言うことをきかない、こんなことであってはいけないわけですね。
まあ、そういうことで六十からは、こんどは逆に自立の時期です。親として自立していく、また一人になるわけです。青春期のように、自立して豊かな晩年を送る、まあそんな時期が来るわけです。
4.悔いのない人生
以上ざっと概観を見てきましたが、理想の人間像はけっきょくその後、七十、八十で死ぬ段階になったとしてね、若いころからの自分の歩みをふり返って、もう一回生まれ変わったとしても、おんなじように生きてみたいなあと言えたら、ある程度理想の達成です。いいですか、死ぬ間際(まぎわ)になって、面白い人生だった、もう一回生まれ変わっても同じように生きてみたいなあって気持ちがあれば成功です。死ぬ間際にこんな人生だけは二度と繰り返したくないと思えば、それはあなた失敗だったんですね。
だから理想の人間っていうのはね、決して固定化したものがあるわけではありません。だからあえて言うとするならば、あなたなりの理想の人間像がある、そう私は思います。あなたなりの理想の人間像とは何かというと、真に死ぬ間際になっていい人生だった、もう一回やりなおしたかった、でも同じように生きてみたいっていうことですね。
まあ、奥さんっていうこととってみればね、旦那が死ぬときにね、お前と結婚してよかったよ、もう一回生まれ変わってもお前といっしょになりたいよと、これを言わすか言わさないかですね。これを言わすことができたら、まあ奥さんとして理想だったんです。理想的に生きれたんです。もうお前とだけは二度と会いたくないよ、死んでも追いかけてくるなよ、別の世界へ行ってくれー、とまあこう言われたらだめですね、失格です。だから、死ぬときに、もう一回生まれ変わってもお前と結婚したい、と言わせることですね。これがだいじです。それと、自分の後継者たちをのこしてね、それらが豊かに育つことというのはだいじなことでね。後継者がしっかりしていないと、あの世に還(かえ)っても迷いますよ。
私もほんとうにそう思います。後継者がしっかりしていないと、あの世に還ってから成仏なかなかできません。だから、この固めだけはしっかりやっておかなきゃいけませんね。そういうことでね、それぞれ年代順についていろんなことを言いましたけど、やっぱりせっかくの一生ですね、それと年数が人によってそんなに個人差がございませんから、この一生を送るにあたってできるだけ大きな活躍をしてみたいと、そして心を清く美しく人のために生きて、そして悔いのない人生、ふり返ってみてわが人生悪くないんだ、悪くなかったなと、けっこうがんばったなと、それなりの成果もあげたし、うれしかったし、人からも喜ばれたと言えるようになりたいね。
死ぬときにあいつ死んでくれてサッパリした、うれしい、やあよく逝(い)きやがったと言われるようであってはいけないね。やっぱり多くの人に惜しまれるような、そういう死を迎えたいね。
まあ、以上が私の理想の人間像ということです。まあ、高橋信次もそういうふうに言われるように生きたかったと、まだもう一つかな、だからそういう人の場合には、死後また活躍して、理想の人間になるために努力をしなきゃいけないんですね。そうならないように生きているみなさんは、生きているうちに完結した立派な人生を生きるよう、そういうふうになることを祈って本書を終えるとしましょう。