目次
2.高級霊界の様相
(1987年2月12日の霊示)
1.四十年ぶりに地上へ
出口王仁三郎じゃ。こうしてまた、地上に住んどる皆の者に、わしも話をすることができて、嬉しく思う。わしが、この世を去ったのは、昭和も二十年を過ぎた頃かのう。二十三年であったろうかのう。日本が敗戦した後に、この世を去ったわけじゃ。七十七年ぐらいは生きたと思うておる。
まあ、久々の地上じゃ。もう四十年ぶりになろうか。まあ、こうした時期にまたわしが話をできるということは、。これは嬉しいことじゃ。ほんとうに嬉しいことじゃし、まあ、わしの名も歴史の彼方(かなた)に流されようとしておるけども、どっこい出口はまだ生きておるわい。出口は出口で生きておって、まだ地上への出口を探して頑張っておるぞ。
今日、わしが今しゃべっておる日に、ちょうど地上には、わしのかつての弟子であった生長の家の谷口雅春が、霊言集を出したようじゃ。まあ、弟子のわりには、けっこう派手なことをやるわいと思うて見ておったがのう。まあ、弟子が出た以上、先生も出にゃあいかんだろう。こうして先生の言葉を伝えて、まあ、地上の「大本教(おおもときょう)」の流れを引いておるものも、また大本から出た「生長の家」三百数十万の会員も、またその他の神道系の人びとも、近代史のなかの宗教界のまあ、巨人と自称してもよかろう。巨人・出口王仁三郎の話をゆっくりと、聞いてもらいたいと思う。
まあ、わしはこういう人間じゃから、話はそうそうはない。うまい話ができるわけではない。ただ、わしはわしなりに、あの世のことはよう知っておるつもりだ。あの世のことをよう知っておるし、この世のこともようわかっておるつもりじゃ。それなりのことはわかっておるし、地上のお前たちの考えておることも、ようわかっておる。天界にありて思うことは、やはり人類の救済じゃ。お前たちの救済じゃ。大本でやれんかったことを、またやってもみたい。そうも思うておる。
2.高級霊界の様相
まあ、それは前置きで、今日は第1章「神のまたの名」という変わった標題を選んでみた。神のまたの名と言うても、それが出口王仁三郎じゃと言うたんでは、世の人びとは信ぜんであろうから、まあ、そういうことを言おうと思うとるんではない。今日の主題はのう、お前たちの今の言葉で言うならば、高級霊界について、話をしておこうと思っておるのじゃ。
まあ、地上の人びとは、神という言葉にどうも多義性というか、いろんな変わった意味を与えすぎているようじゃ。神という言葉を唯一の神というかのう、宇宙を創った神のようにすぐしてしもうたり、あるいは、八百万(やおよろず)の神々と言うて、八百万(はっぴゃくまん)も神がおると言うてみたり、まあ、いろいろじゃ。それは、地上におる宗教家の頭のなかでわかる範囲が知れておることと、その教えを聞いてわかる弟子たちの頭の内容が知れておろうことにもよろうかのう。
ただ、わしがこちらに還って思うにはのう、やはり神という言葉も、もう少し整理をしておかねばならんだろう。もう少し整理をしておかねば、どうも意味がわからぬ。整理もせずして唯一の神などと言っておれば、神はひとつだと思うから、その神を信じておるものは、他の神を信じておる者を迫害する。こういうことにもなろう。そういうことで、神のまたの名ということでね、いくつかの話を今日は用意してきた。
まあ、神のなかでも、いわゆる根本神という奴がある。これはどういった宗教でも、自分たちのなかの親神様というのを、すぐ根本神にしてしまう傾向がある。たとえば、天理教の教祖というのがおったのう。この天理教の神様なども、すぐ根本神となってしまう。あるいは、神道系でも、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)というのは、宇宙の根本神と言われておったろう。あるいはまた、仏教のなかでも、大日如来というのが根本神と言われておったようだ。まあ、こういうふうにいろいろ言われておるし、西洋の世界でも、アラーであるとか、エホバであるとか、いろんな神が出て来ては、それぞれ根本神のようなことを言っておる。
この背景には、まあ、その神と言われる高級霊も、多少はどうも自己顕示欲が強くて、わし以外に神がないと言いたがる連中が多いということも、確かであろう。したがって、地上の宗教の争いを取りまとめるためには、まあ少なくとも、天にある神々の和解ということも、まず大事じゃ。わしも常々これを言うておる。神々よ、和解せよ。お前らが、「わしのほうが偉い」といつも威張っておっては、地上にある弟子どもも、いつまでたっても和解をせぬ。
唯一の神からきた教えだなどと言いながら、ああでもない、こうでもないとやっておる理由はね、地上の人間がそうやっとる理由は、結局、天界においても、「わしのほうが偉い」と言うておる神様がちょっと多すぎるようじゃのう。そして、主流じゃ、傍流じゃと言うて、相変わらず神の世界でもやっておるのじゃ。
その主流、傍流というのが何で決まるのかというと、だいたいこの世での実績で決まっていくわけじゃ。この世で、世界的な規模の宗教をつくって、そうして、人びとを教化し、指導して、実績をつべると、だんだん主流のほうへと回ってくる。実績がどうも今ひとつだと、だんだん傍流に回ってくる。こういうことで、神の世界でも、そうした時代に応じて、ときどき主流とか傍流とかが、入れ替わっておるんだ。
こういう流れというのがあってのう。たとえば、大本のわしじゃ。わしなどは、もともとは、もっともっと厚遇(こうぐう)されてもしかるべき霊格を持っておるにかかわらず、日本の地で、わしが神理を説いたときに、「大本教」が迫害をされた、そして、どうも神理の種としては、種蒔きとしては不十分であったとか、その後、痕跡もないまでに迫害されたがために、教えが残っておらんとか、まあ、こういうことを言う神々もおるわけじゃ。
わしに言わしてみれば、意見はあるよ。戦争に反対した大本が潰されて、戦争に賛成した某新興宗教があれほど大きくなっておるんだから、まあ、こんな不合理なことはないとわしは思うんだけども、それでも、戦争に賛成したほうが、あの世へ還って威張っておる場合もある。
まあ、こういうことで、神々の世界も、ある程度不可解なところはあろう。わしが生きておったときに、主としてわしを指導しておったのは、国常立之命(くにとこたちのみこと)と言われる方で、もちろん、如来の方であるんだけれどもね、この国常立之神というものも、どちらかと言うと、今傍流のほうに押しやられておる。
まあ、如来も数は多いけれども、そのなかで、やはり力を持っておる如来と、残念ながら時代的には少し外れておる如来と、両方がおるのじゃ。まあそういうことで、国常立之命が、その傍流から立ち上がろうとして、わしを指導しておったんじゃ。ところが、わしがまたこういう形で、非常に弾圧をされたがために、まあ、結局同じことになってしまったわけじゃ。
3.鬼門(きもん)、丑寅(うしとら)の金神(こんじん)は荒神(あらがみ)
まあ、「大本」の主宰神を〈丑寅の金神〉と言うけれども、丑寅と言うのは方角でね、昔から鬼門と呼ばれている方向のことじゃ。なぜ丑寅が鬼門かと言うと、まあ、神々の世界のなかで、多少主流から離れた神々が集まっておる方角があるのじゃ。それを丑寅と言う。まあ、下世話の話をすれば、昔から丑寅の方角に、たとえば、便所をつくれば祟(たた)るだとかね、丑寅の方角に何々をつくれば崇るだとかよく言われて、丑寅の方角の神とは、゛祟り神゛と言われておる。
丑寅の方角の神が崇り神である理由と言うのは、ひとつには荒神(あらがみ)という言葉があるけれども、戦の神様が多いということもひとつだ。「如来界」や「菩薩界」にももちろんいろんな神様かおるわけだけれども、戦神というのがかなりおる。そういう神様というのは、一ヵ所に集めておかねばならぬ。放し飼いにしておったのでは、いろんな人を捕まえて、喧嘩をするということで、一ヵ所に集められておるのじゃ。
まあ、昔の荒神(あらがみ)として有名なのは、須佐之男命(すさのおのみこと)。そういう方がおろう。この方も、もともとは如来じゃ。ただ、如来としての神格を持った方であるのはもちろんじゃが、いかんせん行動がどうも派手すぎて、行ないが今ひとつということで、丑寅の方角へ入れられておる。したがって、須佐之男命、国常立之命、それから最近出た偉大な丑寅の神様としては、゛出口王仁三郎゛じゃ。こういう人びとが、まあ、如来は如来なんじゃけれども、ちょっと隅(すみ)のほうへ押し込められておるわけじゃ。
これを何とか、わしらの天下にせねばならんと、まあ、思うとるわけじゃ。なぜわしらがそういう狭いところに入れられておるかというと、結局のところ、我らの霊的な力が強すぎて、たとえば、わしらの世界のなかでも、まあ、神様の力競(くら)べと言っちゃああれだけれどもね、まあ、角力(すもう)取りがどちらが強いかということがあるように、神の力でも力競べというのがあって、どっちが力が強いかというのがわかるわけじゃ。
そうすると、わしらといきあたった神というのは、たいてい逃げよるわけじゃ。わしらの力が強いから、いたずらでもされるといかんと思うて、逃げるわけじゃ。こういうこともあって、若干裏方のほうに、今封じられておる。わしらを封じとるのが一体だれかと言うと、知っとるかのう、だれがわしらをそんなところに封じ込めたと思うか。まあ、これが、「天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)」というお方じゃ。
まあ今、力をふるっておって、最近でも生長の家の大神として、谷口雅春を指導しておったようだけれども、どうやらあちらが主流をつくって、神道系のなかで、わしらのほうを傍流へとだいぶ追いやってきたようじゃ。まあ、これは、過去いろいろと地上を理想化するためにいろんなことを起こしたんだけれども、まあ、やり方があまりにも荒荒しくて、うまくいかないということで、我らが天之御中主之神から、多少いみ嫌われたところがあるわけじゃ。
まあ、わしも、「大本」のときに、ずいぶんやったけれども、感化力というかのう、影響力というのが非常に強いんじゃ。そういうことで、大本の教えに触れると、皆んな、変わっていく。まあ、狂信的と言われると、わしらも腹が立つけれども、まあ、皆んな、何かに引き寄せられるように信者になっていく。とくに大本の失敗は、大本の信者のなかに、狂信の信者がかなり出て来たことじゃ。
4.戦争に反対した゛大本教゛
狂信の信者がかなり出て来たことによって、日本神道系の秩序が崩れるということになって、「大本」の排撃(はいげき)というのが始まった。したがって、これは、ある意味では、神々のなかでの勢力争いもあったということじゃな。わしらの天下にはしたくなかったという気持ちもあったのじゃろう。まあ、あのまま、「大本」がもっと躍進しておれば、今頃、世界が変わっておったに、と思うんだけれども、わしの「大本」時代の仕事の大きなもののひとつは、戦争の反対じゃった。
わしは、日本が急速に軍備強化して、戦争を始めようとしておったことをいち早く予知能力を駆使してわかっておった。だから、戦争を阻止するために、いろんな若手の軍人とか、皇室関係、あるいは、政治関係、いろんなところへと力を持った。そして、新聞社まで手に入れるにいたった。そういうことをして、日本を変えていこうとしたわけじゃ。
まあ、そのやり方の是非(ぜひ)を問うのは自由だけれども、これは今、お前たちが考えておる仏国土づくりと、その主旨においては少しも変わってはおらぬ。神の経綸(けいりん)というものを知らしめ、この世というものを、神の国にしようとした動きであったことは確かだった。じゃが、問題があった。それは、わしの力があまりにも強すぎて、王仁三郎ひとり相手に日本の警察が立ち上がったわけじゃ。
そうして、第一次大本教弾圧、第二次弾圧があったことは、あなた方も知っておろう。わしは、日本の国が滅(ほろ)びるということを予言した。そういうことで、思想犯、危険犯とされて、投獄もされたし、綾部にあるわしの本部も潰(つぶ)された。何回もそういうことがあった。しかし今、歴史を振り返ってみれば、わしらが言っておったことが間違っておったかどうかは、明らかである。日本は、戦争によって、やはり敗北したではないか。国が滅びた。
そうして、わしは、天皇陛下も「人間宣言」をすると言うておったが、言うておったとおり、ただの人になったではないか。東京に火の雨が降るとわしは予言したではないか。そして、そのとおり、火の雨が降ったではないか。広島にも、長崎にも、原爆が落ちることをわしは予言したではないか。そして、そのとおりになったではないか。歴史を見れば、わしの言ったとおりになっておる。わしは、この危険な傾向を何とか食い止めるために、一心にこの一身を投げ出して、我が身を張って、日本を守ろうとしたんじゃ。まあ、それを理解せぬ人たちがおったということじゃ。
5.ユートピア建設は永年の夢
また、日本には理想国ができんと思うては、満蒙(まんもう)に渡って、満蒙で理想国づくりに励んだこともあった。まあ、こうした流れを見ればわかるように、わしの使命は、この地上にユートピアをつくることにあったのじゃ。ただ、その手段方法について、異論があったこともあろう。そういうことで須佐之男命(すさのおのみこと)とか、国常立之命(くにとこたちのみこと)であるとか、わしとかは、まあ、あまり優遇はされておらん、今のところ。霊的な力が強すぎるのでね。地上に出ると、大事(だいじ)が起きるということになっておるんだろう。
しゃが、まあ、歴史のなかでは、わしの名前もやがて不滅のものとなるであろうと思う。少なくともわしは、人びとを破壊から救いたいと思っておったことも確かであったし、綾部(あやべ)という地に、丹波(たんば)のね、田舎の地じゃけれども、綾部という地に一大聖地をつくって、世界の宗教の発祥地をつくりたいと思ったのじゃ。まあ、そういう理想が夢だった。
まあ、こういうことで、地上の人びとから考えれば、神様の世界にも、いろんな派閥があると聞いてはがっかりとする人も多かろうが、事実あるものはあるのじゃから、仕方があるまい。したがって、神とは言うても、そのまたの名は、やはり高級霊じゃ。
これは、神のまたの名であってな。そして、地上の人間は、高級霊の言うことなら、何でも言うとおりじゃと思うておるだろうが、高級霊にも考えの違いがある。思いの違いがある。やり方の違いがあるということじゃ。
わしらのように、戦争反対ということで、日本国中を信者にしようとした者もおれば、神々のなかには、日本は滅びたほうが、いったん滅びて建て直したほうがよかろうという人もおった。こういうふうな意見の違いもあるということじゃ。そういうことで、一概には何がいいかは言えぬ。どちらのほうがいいかは、やはり歴史のなかで証明されることであろう。
6.神は、個性と差別知を与えられた
まあ、西のほうには、イエスという人間が生まれたこともあったけれども、彼とても、ほんとうに十字架にかかったのがよかったのかどうか、これは、今だに結論は出ておらん、わしらの世界でも。お前たちは、その悲劇の人生、詩的な人生ということで、それを崇(あが)めるかも知らんけども、イエスが、ほんとうに三十三歳で死んだのがよかったのか、それとも七十年、八十年の間、神理を伝道して、イスラエルの国にほんとうの神の国を打ち立てたほうがよかったのか、これは何とも言われんとわしは思う。どっちがよかったとは言えぬ。
すべて結果じゃ。こういうふうに、まあ、この地上での神の、法の具現、公布ということに関しては、わしら神々と言われている者であっても、考えの違いがあるし、わしらがまだ人間としての個性を持っておる理由は、結局のところ、まだこうしたことに関して、考えの相違があるからじゃ。考えの相違がなくなれば、わしらの個性はいらんのじゃ。
地上の人間は、高級霊なら皆同じじゃろうと思うとるが、皆同じなら、個性はいらんのじゃ。皆同じなら、何で仏教をつくったり、キリスト教をやったり、神道やったりしようか。同じでないから、いろいろとやっておるのじゃ。それぞれの集団が、わしらの方法こそが一番いいと思ってやっておるのじゃ。
ということはどういうことかと言うと、まあ、如来や菩薩と言えるような、神近き高級霊であっても、やはり地上を仏国土にしていくという仕事において、個性の差があって、またやり方の差があり、考え方の差があるということ、そうであるから、またわしらにとっても、魂の修行ということができるということなんじゃ。まあ、この辺をよく考えてみにゃあいかんだろう。
まあ、そういうことで、地上で諸宗、諸教、諸団体が入り乱れて争っておるけれども、お互いを非難し、排撃することはけしからんことじゃが、その方法論において一致せんところがまだあるというところは、認めざるを得んじゃろう。目的においては一緒じゃ、皆んな、自分らが真理ということを広めて、世を救っていこうと思っとるんじゃ。目的において一緒じゃ。ただ、手段、方法が違っておる。そういうことも、頭のなかに入れておかねばならんということだ。
7.創造神は、多趣味な方
まあ、ほんとうの神、造物主というものの心がどこにあるのかは、わしらでもようはわからん。ただ、こうした高級霊界の様相を見てみるにつけ、その根源にある神というものが、どうやら、ずいぶん多趣味な人格らしいということはわかるわけじゃ。かなり趣味が多い方らしいなということがわかる。あれもいいけれども、これもいい。これもいいけれども、あれもいい、というような人であろう。
まあ、趣味の少ない人であれば、人間だけ創っておればそれで満足するだろうが、よくもまあ、創りに創ったり。トカゲも蛇も創り、狐も猫も創り、鯛も創れば、平目(ひらめ)も創る。蛸(たこ)も創れば、烏賊(いか)も創る。まあ、よくもあそこまで知恵が回ったものじゃ。
まあ、してみると、神というものには、ひとつの好みというのがあったわけじゃなくて、いろんなものを創っていくなかに、どうやら意味を看て取った方であるらしいということがわかるということじゃ。お前たちから見ても、蛸と烏賊どちらが優れておるかと言われても、ちょっとわかりかねるであろう。また、蛸と烏賊が、どっちが進化しているか、これも難しい。蛸と烏賊の生き方のどっちが神の心にかなっとるか、まあ、これもちとむずかしい。
まあ、人種の違いも蛸と烏賊じゃ。日本人じゃ、アメリカ人じゃと言っとるが、日本が蛸じゃ、アメリカが烏賊じゃと言うても、どっちが、どっちじゃ。烏賊の値段が高いときもありゃあ、蛸の値段が高いときもある。墨を吐くとこは、同じじゃ。足がいっぱいあるところも、同じじゃ。軟体動物であるとこも、同じ。まあ、いずれあやめかかきつばた、いずれ蛸か烏賊か、まあ、この程度の違いじゃ、蛸の信ずる宗教と烏賊の信ずる宗教のどっちが得かよく考えてみると、どっちも相手をののしって、墨をペーッと吐いては、逃げておるんじゃ。まあ、この程度の違いじゃの。
8.日本神道中興の祖・稗田阿礼(ひえだのあれ)
まあ、こういうわしじゃけれども、出口王仁三郎として出た以外にもまた、我がこの大和、日本の国のために、かつて協力したこともある。わしも、昔の日本の歴史に、名は止どめておるのじゃ。わしがだれかを知っておるかの。わからんだろうの。まあ、遠からん者は耳をそばだてて聴け、近くの者はもっと近くに寄れ。「出口王仁三郎」のその過去世は、畏(おそ)れ多くも、かしこくも、知っておるかのう、ウーム。残念ながら伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)じゃないんじゃけれども、わしは、「阿礼」じゃ。阿礼、知っておるか。
古事記というのをつくった人がおったじゃろうが。それ、それ、古事記をつくったのはだれじゃ。「稗田阿礼(ひえだのあれ)」じゃ。聞いたことがあるかな。稗田阿礼というのは、わしじゃ。古事記をつくったということはな、イスラムの世界で言ゃあ、コーランをつくったのと同じ、キリスト教で言ゃあ、聖書をつくったのと同じ、仏教で言ゃあ、仏典をつくったのと同じじゃ。
それだけ、日本の歴史のなかで、力のあったわしじゃ。稗田阿礼と言うてのう、まあ、帰って歴史の本でも開いてみい。必ず名前がのっておろう。日本の国をつくったひとりじゃ。この神国日本の基礎をつくったのはわしじゃ。その日本の神道の要(かなめ)となったのもわしじゃ。
まあ当時、今からそうじゃのう、千三百年も前であろうかのう、その頃に生まれて、そのときも、わしは巨大な霊能者であったわけじゃ。巨大な霊能者であって、まあ、観自在というか、過去、現在、未来を見通したのがわしじゃ。まあ、現在では、稗田阿礼というのは、昔から、語り継がれた神代(かみよ)の歴史を暗誦しておって、そういう語り部であって、その暗記しておったのをしゃべって、大安万侶(おおのやすまろ)というのが筆録して、古事記ができたと言われておろう。じゃが、事実は、そうではない。
当時、貴族のなかに、宮中において、そういった神代の歴史を語り伝える語り部というのがおったのは確かであるけれども、この語り部というのは、まあ、ある意味での神主でもあったわけじゃ。昔の歴史を覚えてしゃべっておっただけでは決してなくて、語り部のほんとうの意味は、「霊来たりて語り給う」の語り部じゃ。
すなわち、霊能者じゃ。天上界の緒霊をその身に宿して、その口を貸してしゃべらすのが語り部じゃった。そういうことで、当時の政治についても、やはりわしら語り部に、御下問(ごかもん)が下って、右すべきか、左すべきか、というようなことが問い合わされて、わしらが答えておったのじゃ。
「都(みやこ)を今度は変えるべきでござる」とか、あるいは、「そろそろ国史の編纂(へんさん)をすべきときである」とか、こういうことを言ったのが、わしらじゃ。これも、あの世の高級諸霊の言葉が身にのぞんで語ったわけじゃ。今、古事記を見れば、神代の時代のことをいろいろ書いておろう。「大国主之命」の国引きの話とか、「神武(じんむ)天皇」の東征の話であるとか。
「天照大御神」の、天の岩戸隠れであるとか、そうしたことがいろいろのっておろう。当時、わしの口を借りて、そうした高級神霊が語っておったのだ。それを、大安万侶(おおのやすまろ)が筆録して出したわけじゃ、わかるかの。
9.日本人のルーツはムー大陸
まあ、現代では、古事記というたらもう昔の時代のことと思うて、古事記以前の世界がもうないように思うて、現代の日本人は、日本の歴史は二千年そこそこであって、それより以前は、弥生時代であるとか、縄文時代とか言って、石器と稲作だけの時代だけしゃったと思うておったようだけれども、いかんせん、日本の歴史はもっともっと長いのじゃ。
そして、何千年かに一回ずつ、わしのような大きな霊能者が出て、新たな神代の時代の霊言を遺(のこ)して、神話をつくっていくというのが歴史であったわけじゃ。したがって、今お前たちは、天之御中主之神(あめのみなかぬしのかみ)とか、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)とか、天照大御神(あまてらすおおみかみ)とかいうのが、三千年近いその昔に、日本の国をつくったということを聞いておろうけれども、これにおいても、最初じゃないのだ。もっと昔がもちろんあって、四千年前、五千年前という歴史ももちろんあったし、七千年前の日本もあったのじゃ。ただ、そうしたものは遺っておらん。
そして、四千年前、五千年前の神々のことが記憶に消え去ったときに、天之御中之神とか、天照大御神とかが地に降(く)だられて、新たな宗教をつくられたのじゃ。彼らが地上を去って長くなれば、奈良の時代に、わしらがまたそういう、何と言うかのう、神話をつくって、新たな宗教、まあ、これが日本神道の基礎になっておろう。経本としては、「古事記」「日本書紀」しかないであろう。こういうものになったわけじゃ。
まあ、西洋流に言えば、宗教改革であるし、新たな宗教を起こしたということでも、一緒であろう。まあ、わしの出た時代は、イスラムでは、マホメットの出た時代とそう変わらん頃であるから、歴史としては、もっともっとほんとうは遡(さかのぼ)っておるのじゃ。
いかんせん人間は、二千年か三千年前で、人類が始まったぐらいに思っておるから、キリスト教でもそうじゃ。だいたい神様が四千年ぐらい前に、人間を創ったらしいぐらいに思うておる。「アダム」と「エバ」の話じゃ。神様が粘土をこねて、人間を創ったのは四千年ぐらい前のことだと思っておる。そんなもんじゃなくて、ほんとうは、もっともっと、古いんじゃ。もっともっと古い時代なんじゃ。
そして、日本へそうした神道系の神々が数多く出ておるけれども、こうした神道系の神々の、まあルーツと言うか、根っ子はどこにあったかと言うと、太平洋には、「ムー」という大きな大陸があってのう。昔、ここでまた、皆んなやっておったのじゃ。こうした神々がムー大陸が沈んだ後、また東の国に移って来ておるのじゃ。そうして出たんじゃ。
したがってまあ、日本人のルーツと言うのかのう、現代語では、根っ子がどこにあるかと言うことを、いろいろ議論がなされておるようじゃけれども、根っ子はムーじゃ。ムーの文明を継いでおるのじゃ、日本人というのはのう。それが、根っ子じゃ。まあ、それ以外に、大陸からも人は入ってきておる。さまざまにね。だが、根っ子はムーじゃ。
ムーの海洋文明というのが、日本に入ってきておるのじゃ。もともとの根っ子は海洋民族じゃ。それにまあ、稲作民族が中国、朝鮮のほうから移ってきておるのじゃ。したがって、弥生式時代、縄文式時代というのが、まあ、二千年、二千数百年前にあったと言われておるけれども、それは稲作民族の時代であって、これ以前に日本には、すでに海洋民族が住んでおったのじゃ。海を中心としてのう。
船を道具として、海を舞台として活躍しておった。海洋民族としての日本人がおったのじゃ。今から四千年前、五千年前にも、ちゃんと立派な帆船(はんせん)をつくって、太平洋を、日本海を、行き来しておったのじゃ。そういう文化の高い人種であったのが、日本人じゃ。五千年前にも、ちゃんと帆船をつくって、太平洋を行き来しておった。その頃には、太平洋にも鯨(くじら)がずいぶん泳いでおってのう。帆船に乗って、鯨をモリで突いておったのじゃ。そういうこともしておった。
そして、鯨を漁(と)っては、鯨の体のなかから、蝋(ろう)を採ったり、蝋燭(ろうそく)の蝋を採ったり、筋を採ったり、皮を採ったりして、さまざまなものをつくっておった。その鯨の皮をはいで、これをテントにもしておった。知っておるかのう、鯨のあばら骨を、屋台骨代わりに使って、皮を採ってのう、皮でテントを張って、まあ、エスキモーじゃないが、そういうものをつくって住んどった時代もあるんじゃ。これが海洋民族じゃ。そうぃうこともしておった。
まあ、こういうことはまだだれも言うたことがないじゃろう。まあ、明日もあるから、今日はこの程度にして。また、話を続けていこう。うん。