目次
5.憑依の原理
6.肉体管理の重要性
1.肉体は舟であり、心は船頭である
それでは今日は昨日に引き続きまして、「心と肉体の関係」こういうことに関して約数十分の間お話をしていきたいと思います。
私は、現在九次元の世界に帰って来ています。というわけで、もう肉体はないんであって心と肉体の関係と言ってもちょっと頭がボーッとして、はっきりしたことは分らないんだけれど、心が身体みたいな感じで、心即ち身体の関係みたいになっちゃって、肉体ということがもう大部、分らなくなってきているんです。まあ地上を去って十年近くなるともう肉体の感覚というのがかなり薄れてきました。そして本来、そういった肉体というようなものを、私が使っていたということも、記憶もかなり薄れて参りました。けれども、生きている人間にとっちゃ、そういうわけにはいかないんであって、この肉体というのを通じてしか、あの世の世界も、この世のことも感じ取れないんです。そういうことですから、話はちょっと遡って、私も生きていた頃のことを思い出しながらお話をしていきたいと思います。
人間は、ともすればどうでしょうか、今生きてる日本人の七割位の人でしょうか、六~七割の人はもう「肉体が全てなんだ」と、この肉の形、一六七センチ、一七〇センチ、体重六〇キロか七〇キロか知らないけど、そういう肉体が自分の全てだと思っている人が多いわけです。そして肉体が全てだから生命保険なんか掛けちゃって、これが滅びた時に金に換えるとか、もう肉体がお金と換算できるような、そういうような考えでおるようです。それは仕方ないんであって、これは、喩えて言えば、こういうことです。
テレビでウルトラマンかなんかやっています。ああいうウルトラマンの中に入っちゃって縫いぐるみの中に入っちゃって、ウルトラマンやってたら、もうやってる本人がだんだんウルトラマンの気持ちになっちゃって、縫いぐるみに入ってんのが、ウルトラマンの気になっちゃって、もう自分はウルトラマンだなんて思うんです。いつも怪獣と戦ってると。また、怪獣の縫いぐるみの中に入っていると、四十度位にもなるそうで、暑いんです。けれど、暑い中で尻尾(しっぽ)振り上げてウルトラマンと喧嘩してると、だんだん本人も怪獣みたいな心境になっちゃって、いや自分は怪獣なんだと、生まれつきの怪獣なんて思って、暑い中、四十度の中で、ウルトラマンと怪獣とが、喧嘩しているわけですよ。こういうふうに人間というのも本来はそういう肉体という物の中に宿って魂修行しているにもかかわらず、誤解をしちゃうんです。それが本来の自分の姿だと思っちゃうわけです。
私は幾つかの著書の中で、肉体というのは舟ですと、肉体舟ですと、そして心というのは、或いは魂というのは、船頭さんですよと、こういうことでよく説明しました。ですから肉体は舟ですから、その舟を操る船頭さんが確(しっか)りしていないと、舟は何処へ流れて行っちゃうか分りません。こういうことを説明しました。そして、じゃあ、と質問する人が居るわけです。心が船頭、或いは魂が船頭で肉体が舟だ、と、どうして言えるんですかと。
例えば、死んじゃったら、何も分らないんじゃないですか、と。肉体イコールやっぱり人間なんです、と。こういうことを言う人いますね。或いは、人間が考えるのは、この脳味噌で考えるんであって、脳細胞の機能です、と。脳細胞の機能で、いろんなこと考えたり、人を好きになったり、嫌いになったり、そんなことするのも、みんな脳細胞で考える、と。脳細胞はコンピューターみたいで、此処(ここ)で考えるんだと。こういうふうな唯物的な物の考え方をする人、こういう人が居るわけです。
まあこういうことに関して、私は著書の中でも書いておきましたけれど、まあ、じゃあ、皆さん、肉体が全てだと言うなら、では、寝てるときあなたが悪口を言われても分りますか。耳元で人に悪口を言われます。確かに音というのは必ず振動しているんですから、その振動音というのは、あなたの鼓膜を必ず振動させている筈です。鼓膜が振動して、物理的にそれが神経に伝わるなら、神経に伝わって脳神経へ行く筈です。あなたの脳というのは、その悪口を言われたことを記憶している筈なんです、物理的には。ところが、実際は寝ている間に悪口言われても全然記憶がありません。何故でしょうか。それは睡眠中には、肉体舟の船頭さんである魂というのが、肉体を抜けているからです。肉体を抜け出してるから、いくら悪口を言われても分りません。そういうことなんです。
例えば、植物人間というのがあります。アメリカでカレンさんというんですか、植物人間をもう二〇年も三〇年も、事故かなんかで全身不随になっちゃって、そして寝たきりで死にもしない、生きてもいないと、本人、何も意識もないと、こういうのは、肉体舟の方が大部故障しちゃって、本人が、船頭さんが肉体舟を、自分を支配できなくなっちゃっているんです。コントロールしたくてもできないと、しかし死んじゃいないと、こういう、ややこしい関係になってます。
それから、唯物的な人は脳味噌がこの頭にある千何百グラムかの脳味噌が物ごとを考える、と、こういうふうに考えるんですけれど、じゃ脳味噌なくなっても考えるんですよ。高橋信次此処出て来て幽霊ですよ、言ってみれば。ガス体のような、幽霊のような、エネルギー体のような、電磁波のような、何と言って下さっても結構だけれど、少なくとも脳味噌はもうありません。脳味噌はないし、脳味噌の皺もありません。オバケのQ太郎みたいなもんで中味は空っぽでございます。それでもちゃんと自分なりの考えというのは出せるんです。これは大川隆法さんの考えじゃないです。私の考えなんです。すると脳味噌の皺の数で物を考えているんじゃない、脳細胞で考えるんじゃないんです。どっか他に考えるものがあるんです。ですから皆さん、脳細胞で考えると思っちゃいけないんです。
脳細胞というのは、コンピューターみたいな物なんです。コンピューターを動かすには、いいですか、スーパーカルクを入れようとすれば、スーパーカルクのツゥーならツゥーを入れて、それからソフトを入れて、そしてまず電源を入れて、それから自分でインプットするわけです。そして準備OKになったら、初めて、じゃ今日はこういうことをします。というので、コンピューターいじらなきやいけない。そして全情報を出したりして、情報の中で私の欲しいのは、こういうことなんて言って、人間が指で操作すればコンピューターは初めて作動します。そうですね。コンピューターで高橋信次の著書。とこう押せば「心の発見」3部作、「人間釈迦」4部作、これは未完であった、とか、こういう情報が出てくるわけです。しかし、それまでには、あくまでも人間が、高橋信次の著作について知りたいという思いを起してインプットしなきやコンピューターは働きません。これと一緒なんです。人間の頭というのは、コンピューターなんですが、このコンピューターに電源を入れる人、また、電源を入れて何をアウトプットしようとするか、それを決める人が居るんです。それが心であり、魂であります。
2.精神病者は船頭が入れ替わっている
ですから、この方(かた)の方(ほう)が狂っているとコンピューターがいくらしっかりしても駄目なんです。これは所謂、気違いさんです。精神病者も一杯居ますけど、こういう人達は、頭は狂ってないんです。本当は。脳味噌しっかりしてるんですよ。ところが言ってることがコロコロ変わってきます。話してると、ある時はお天気の話をするかと思ったら急に政治問題の話。政治問題の話をしてると急に賃貸マンションの話を始めて何だかコロコロと人格が変わっちゃう。話してるうちに、一体何人と話してるか、自分が分らなくなる。それは何でなるかというと肉体舟を支配している船頭さんが入れ替わってるんです。完全に憑依されています。そしたら、それぞれ憑依した船頭さんが、「船頭多くして、舟、山に入る」かなんか知らないけど、船頭さんが多すぎると舟が動かないんです。或いは三人位の船頭さんが、一隻の舟に乗っちゃって、皆、川の中に竿を差しているわけです。で、自分は此方(こっち)へ行きたい、あの人は彼方(あっち)へ行きたい、みんなが適当な所で、一メートル位の川ですよ、竿を差して動こうとする。そしたら舟は動かなくてグルグル、グルグル回り始めるんです。こういう状態が気違いさんの状態なんです。そうすると脳細胞自体は正常であっても、そういうふうに船頭さんが入れ替わると全然脈絡のないことを言い始めます。これは気違いです。これは機械が故障しているんじゃないんです。機械は時々正常に戻るんです。正常なときは正常なんです。
ところがアルコールが入ると急に変わっちゃったりして人が変わったりするようになるんです。例えば夜になってアルコール入ると、途端に人格が変わっちゃって、いろんなことを、おとなしかった人が夜になったら急に、狂暴になったり、或いは女性を見ると急に目の色が変わってきたり、或いは月夜の月を見ると毛が生えてきちゃったりして、あっ、これは狼人間ですね、これは違ってた、こうじゃないけれど、そういうふうに豹変する人が居るんです。これは、やっぱり魂の問題なんです。
ですから心理学的にも、多重人格っていうのがあります。これはどう考えても同一人が同一肉体に入ってるんじゃないと、違う性格がどうやら入ってるようだと。なかなか多重人格でも面白いのがいて、実は自分は千八百何年頃に、アメリカの何処そこに生まれた人間であって、こういう者である。本人が実際は、男性なのに拘らず、私は女性だって言うのが出てくるんです。多重人格の人は、私は女性だとか、私は子供だとか、或いは私はイギリス生まれで千六百何年代に生まれて、何とかの事故で死んだ何とかです、などと言い始めます。あり得ないことです。本人は男なのに「違う、女だ」って言ってるんです。そういうのは、まさに魂が喋ってるってことです。一つの肉体を何人かが支配している、こういうふうになったら最後です。人間も駄目になっちゃいますけど。
そういうふうに、魂、心というのは船頭さんで、肉体というのは舟だという関係があるわけです。
3.心というのは魂の中心部分である
本当のことを言いますと、その心と言われているのは何か、これをもうちょっと追究してみたいと思います。
皆さん心、心と言うけれど、心って一体何でしょう。心は、頭の、脳細胞の働きだと思ってる人も居るんです。心が頭にあると思ってる人も居るわけです。とんでもない間違いです。心は頭にはありません。私の本にもまた、これ書いてあります。
じゃあ、あなた悲しい時に、涙は何処から込み上げてきますか。頭からですか、嬉しいときに、嬉しいという気持ちどっから込み上げてきますか。胸からでしょう。そうじゃないでしょうか。あなたは、頭が今は悲しい、悲しむべき時だからと頭が判断して、そして初めて涙が出てくるんですか。そうじゃないでしょう。胸がジーンとしてきて、涙が出てくるんでしょう。それは理由もなく出てくるんでしょう。これは頭で、いいですか、理屈で考えて今、涙を3cc 出すべきだから、出す、なんていって出るんじゃないんです。そうじゃなくてジーンとくるものがあって、涙が出てくるんです。込み上げてくるんです。ここが、心という部分です。
心というのは、要するに、魂の中心部分なんです。
心といっても、魂といってもいいけれど、魂というのは、もうちょっと広い部分のことを一般的に言っています。
心というのは、魂の中核部分、中心部分です。そして魂というのがあります。魂というのは、大体、肉身、肉の体と同じサイズになってます。オーラは普通の人が一センチ、ニセンチ位はみ出してます、人体から。オーラでみても分るように、光の天使なんかもっとはみ出しちゃって、一メートル、ニメートル、オーラが出ています。
そういうふうに出てますけど、こういうふうに、心が中心になって魂というのは、もっと大きい、この魂のことを別の言葉で、光子体といいます。魂というのは、こういうふうに肉体とは別の、光子体というものによって構成されているものなんです。
4.光子体こそ人間の実相
そして光子体というのは、何かと言うと、光の粒なんです。その粒で本来、人間の本当の姿、実相、人間の実相、生命の実相というのが本当は光の体でできているんです。
光の珠(たま)、光の子供、光子というのは何かというと、要するに天上界に、霊太陽というのがありますけれど、霊太陽から放射されたエネルギーです。エネルギーが結集して、粒子を創っています。
ですから、昔からよく人間の本当の姿というのは、神の分身だと。人間は神の子だと言いますけど、これを物理的にいうと、人間の、人間の本当の体、光子体っていうのは、要するに神から分れたエネルギー、エネルギーが粒子となって創っているんです。ですから人間の体は、神の体と同質なんです。それは光子体というものからできているからです。その光子体というのは、神の霊的エネルギー、これは霊太陽、あの世の霊太陽に基づいて、そこから出てくる光です。これを凝集して、霊子線を創っているんです。そして霊子というものが、様々に結びあって人体を構成しているんです。これが本当の人間の正体です。
そして、この光子体というのは、一つの法則がありまして、本人が悟る程度に応じて、悟るというのは難しいけど、まあ悟り方についても語りましたけど、本人の悟りに応じて、この光子体の量が変わるんです。そして悟りの段階によって、神界、菩薩界、如来界となってくると、だんだん、光子体のエネルギー量が増えてくる。そして悟りが少ないと、この光子量がだんだん減ってきて、場合によっては、地獄へ行ってる人なんかは薄暗くなっちゃって、光子体の表面がいろんな想念で、心の中で思った想念の曇りで曇ってきます。そして薄ぼんやりとしてきて、光が出てきてないんです。
ですから、私たちの目から見れば、生きている人間の体をみて、ぱっと見れば光子体が見えます。ところがその人の光子体を見れば、心の状態、一発でわかっちゃうんです。
よく悟ってる人、或いはよく反省している人っていうのは、綺麗な光子体出てます。綺麗なオーラですね。
ところが、病気の人なんか見ると、大抵、光子体の中に翳(かげり)があります。その光子体ずっと見ていると、例えば肩の辺に翳がある。或いは頭の辺が薄ぼんやりしている。こういうふうに見えます。光子体が薄汚れているんです。何かなと思うと、大体そこに想念の曇りを創っています。そして想念の曇りを創ってそこに、あの世の地獄霊が憑依して来ています。大抵、その光子体の曇っている所に、憑依というのが起きてくるんです。憑依っていうと人間と何か同じサイズのものが来て、人間にペタッとへばりつくかというと、そんなもんじゃないんです。そういうふうに想念の曇りのある部分を狙って憑依してくるんです。彼らも、地獄霊たちも、やっぱり四次元的存在ですから、決して絶対的なもんじゃないんです。そんな大きさがあってどうこうと言うもんじゃなくて、ですから、ある人は肩がなんか凝って、肩が痛くて痛くて仕様がない、ちょっと鍼(はり)打って下さい、とこうなります。或る人はお腹がなんかおかしいと、いつもお腹の調子が悪い。或る人はなんか下半身が痺(しび)れて、どうも変だ。或いはリウマチだとか、或いは頭痛もち、耳鳴り、この頭痛だとか、耳鳴り、或いは下半身の痺れ、リウマチ、こういうのは完全に憑依です。腰が痛い、こういうのもみんな憑依です。みんなあの世の地獄霊たちが来て、その部分に憑依してるんです。
こういうふうに、本来の人間の、体の組立てというのを良く知って欲しいんです。まず、船頭さんである心が魂の中心にあって、それから中心の周りに人体と同じ形をした光子体というのがあります。この光子体が、肉体をスッポリと被っています。そして、光子体こそ本当の主人公であって、肉体を支配して活動しています。
5.憑依の原理
ところがこの光子体が、いろいろ故障を起こすことによって、様々にその人の人生が変わって行きます。そして光子体と肉体を結ぶものがありますが、これは何かというと、これは霊子線というんです。霊の子の線と書きます。霊子線。これが大抵の人間は、頭の部分ですけど、頭の部分で、この光子体と人間の肉体、人体とを結んでいるものがあります。銀色の線です。
これが大抵、脳の神経とその光子体の方の中枢部分とを、霊子線で結んでいるんです。銀色の線です。これが結んでいて、大体光子体が考えていることを脳に伝える、そして体全体に行くと、こういうことになっています。ですから生きている人間は、この光子体と肉体とを結ぶ霊子線が、切れない限り、決して肉体から本当に分離してしまうことはないんです。
たとえ一時的に憑依されて、他の霊が関係することがあっても、他の霊と肉体とは霊子線が繋(つな)がってませんから、完全に支配できないんです。本人の局部的な所、攻めたり、一時的に攻めることはできても、完全にその人格を支配して、何十年もの人生を生きるってことはできないんです。それはまた、一つの法則がありまして、もしそれができるなら地獄の亡者たち皆出てきて、生きてる人間の魂を追い出しちゃって、自分が肉体の中に入れたら、生まれ変わったのと同じで、生まれ変わることできるわけです、楽ちんです。
地獄にいたら苦しくて仕様がない、だから地獄は、苦しくて仕様がないから、皆這い出してくるわけですよ。這い出してきて、何とか逃れたい、それで地獄から一生懸命、這い出してきます。そして行く所がない。もう天国へは行けないんですから、地獄から這い出してきたら、もうこの地上界しか行く所がないんです。この地上界で、何とか自分の住み場所を探そうとする。地獄霊たちは、躍起(やっき)になって探すんです。そうすると、たまたま霊界の法則で、類は友を呼ぶ、似た者同士が、相通じるという法則があります。これはこの世でも一緒です。
あなたが、ここに来て話してるのも、似たもの同士が話をしているわけです。あの世の幽霊を好きな者同士が、ここで話してるわけですよ。嫌いな人は来ないんです。幽霊を嫌いなら、こんなとこ来て高橋信次と話なんかしないんです。あなたは幽霊が好きだから、ここに来て話してるわけです。似たもん同士が集まるんです。こういう同じ原則でして、あの世の地獄霊が、地獄の苦しみから一時的に逃れようとして、地獄から這い出してきます。そして何とか自分によく似た人がおらんかと、もう血まなこになって探します。ところが居るんです。
人間の悩みなんていうのは、非常に限られたものです。幾つかのパターンに分けてしまえば、大体もうみんな似てて決まっちゃうんです。地獄へ行くんだって、原因も大体皆さん似てて決まってるんです。大抵、普段人と争う気持ちが強くて、人といつも、いつも争いばっかりしてた、喧嘩ばかりしたり、悪口ばっかり言ったり、そういう闘争心ばっかり剥(む)き抑き出しにして生きてきて地獄に落ちた人、こうした人は阿修羅地獄です。こういう地獄霊が、この地上に出てきて、ほいほいと探してみると、一杯居るわけです。こんなのが今の会社に一杯居るわけですよ。人の悪口ばっかり言ってて上司と喧嘩ばっかりしている人。或いは部下を苛(いじ)めてばっかりいる上司。或いはお互いに足を引張ってるライバル同士。こういう人達はみんな阿修羅地獄へ行く侯補生たちです。こんなとこ入るの一発です。
似たような人がいた。こりゃ楽ちん楽ちん、と言って入って来るわけです。そして、そういう例えば、阿修羅地獄へ行く傾向のある人に憑依します。そうすると、どうなるかというと、その人は増々心の揺れの幅がひどくなってくるんです。するとこの人は、さらに人の悪口言いたくなる。そして理性で、普通は理性である程度抑えていたのが、だんだん理性の箍(たが)が緩んできて、周りの人が見ても、信じられないようなことを言い始めるんです。例えば、まっ昼間からもう回りのことをお構いなく人の悪口を、ぱっぱ、ぱっぱと言うわけです。
或いは、上司なら、上司がですよ、或る人が部長さんだとしましょうか。何だか知らないけれど、些細なミスを取り上げて、部下を呼びつけて「こらっちょっとここへ来い。」って、直立不動のままで、もうわんわんと真昼間から一時間、二時間と部下を叱りつけて、本人は教育してるつもりでいるんです。ところが、私たちから見ると、あの世の阿修羅霊がきて、いい気持ちになって肉体支配して、要するに自分のうっ憤晴らしてるんです。で二時間も説教されるもんだから、もうひっくり返ったり、倒れたりしてなんか厳しい人だなあ、なんて思います。そしてその毒素を喰らった人はまた、上役の悪口を言います。で、夜酒を飲みながら悪口を言います。またその人もおかしくなっていく。こういうふうにして自分たちの住家を増やして行くんです。
或いはまた、他の人、地獄霊なんかでも自分の身上(しんじょう)を持ち崩した人、あの経済的に無茶苦茶やって、競馬競輪、マージャンとパチンコまでいっちゃあれだけど、私も、やったことあるから、言いにくいですけど。まあ、競馬競輪としとこうか、やったことないから。競馬競輪で、どんどん散財しちゃって、お母ちゃんに内緒で、へそ繰り使ってまでやったけど、金がなくなって、とうとうサラ金に手を出したと。そして、サラ金から金を借りたんだけれども、これが雪達磨式になっちゃって、とうとう返せなくなってきた。で、どうするかというと、サラ金は、朝に晩に取りに来るわけです。真夜中に来て、ドン、ドンと叩く「出てこい」と、サラ金業者に憑いている地獄霊たちは言います。そうするとだんだん、夜も眠れなくなります。そして会社での仕事も上手く行かなくなってくる。そして生活が乱れ、夫婦仲が乱れ、だんだん、おかしくなって地獄へ行きます。そしてサラ金の取り立て屋を恨んだりします。それはおかしいんです。自分が金を借りてるんだから、承知の上で金を借りてて返せないんですから。サラ金だって悪いとは一概に言えないんです。そういうとこをみすみす、乗り込んで行ってます。こういう人が居ます。そうすると、こういう地獄霊、地獄へ行った霊たちは、また地上を見渡すと似たような人間が居るんですね。借金ばかりして、「あっこれは転落するな」というようなものが居るとそれにヒョイッと憑いちゃって、また自分と同じような味わい、苦しみを味わわせます。
大体、あなた方にもあるでしょう。自分と同じような苦しみを味わわせたい、で自分が貧乏したら、人も貧乏させ、苦しませたい。まあ大体、経営者の方もあるんですよ。一代限りの経営者、自分が叩き上げて、苦労の上、苦労して会社造ってきたような、こういう人は大体、サラブレッドみたいな人、嫌いなんです。大体自分が、苦労に苦労重ねて会社造ったような人っていうのは、大体人にも同じような苦労させたい、と大体こう思うんです。そして、お前ら苦労が足りないと、まあ苛めたりして、苦労、苦労と言うことを言い始めるんです。
どっかにも反省、反省と言う人が居ましたが、よく考えてごらんなさい。似たような人が居るから。自分が三年間反省して悟ったから、みんなに反省、反省って言う人が、どっかに居るから。それもよく反省しながら考えて頂きたいと思います。
自分が苦労に苦労を重ねて、やっと成功したから、たまたまなんですけれど、それを合理化するわけです。美化しちゃって、やはり人間っていうのは、苦労しないと成功はできないんだと。そんなことないんですよ。苦労しなくたって、あなた、スッスッと成功する人一杯居るんですよ。ところが、それが気に喰わない。「それは真実ではない。そんなことは、あり得ない。やっぱり人間は苦労して、ひと回り大きくなって成功する」と思うんです。こうなったら信念ですよ。苦労しなくたって、成功する人は一杯居るんです。そのような社長は、会社なんかで、中学卒、或いは小学校卒で、叩き上げて社長になったとしても、今の会社ならもう大学卒が一杯人って来ます。人事部の人は、大卒のバリバリのエリートなんか採るわけです。そしたら社長さんが見ると気に喰わない。なんだこいつ、親に面倒ばかり掛けて、親に面倒見てもらって、仕送りしてもらって、学生時代も、のほほんと過ごしちゃって、苦労が足りん、と。もっと苦労さしたる、と言って、社長命令。直々に集会始めたりして、わざわざ、そういう雑用やらしたりして、苛(いじ)めたりして、こういうことします。
ですから話を元に戻しますと、地獄霊は似たような人を探しており、その地獄霊に憑かれると肉体が不調和になって来ます。ですから、心と肉体の関係と言うけれども、私は前半において、物理学的というか、その組織において、心と肉体が、どうなっているかと言うことを言いましたけれど、後半に入って、今肉体の調和と言うことを、今話してるんです。
6.肉体管理の重要性
それで皆さん、肉体が第一、ということで考えるけれど、肉体というのは心に密接ですと。そして心の方が迷い始めると、地獄の様々な霊たちに支配されていきます。そうするとだんだん、不調和になっていきます。そういうことです。
此処にも風邪ひいている人、居るけど、これは地獄霊に、やられてるかどうか私はよくわからない。私が降りて来てるから、本人は疲れてるなんて言うような人もどっかに居るけれど。それは冗談として、肉体も、体も身のうちです。霊的なことに興味を持ち過ぎる人というのは、どうしても肉体を軽視します。けれども憑依という現象も、二つの入り口があるんです。
一つは、心がそういうふうに曲がってて、心が違う方を向いているために地獄霊たちが、トントンと入って来て、そして憑依されてだんだん、肉体が不調和になって行くタイプ。もう一つあるんです。これは本当に本人の不養生です。
例えば、栄養のバランス、これを考えずに食べたいもんばっかり食べて、豚肉ばっかり食べて腎臓悪くしたり。或いは脂もんばっかりとって、夜中に死んじゃったり。多いんですよ最近、夜、お年寄りが夜の十一時、十二時にコッテリした物食べちゃって、それこそ大福十個位食ったりして、そして挙げ句の果て、ヒイヒイ言って死んじゃったりすることが。そういうのよくあるんです。年とったら、そんな脂もん取ったらいけないんです。
それから寝る前に過食しちゃいけない。こんなの常識です。医学的に見ても。ところが寝る前に腹一杯食べて、明け方頃死んじゃうと。こういうケース結構多いんです、最近。こういうのは本人の不養生です。
こういうふうに肉体というのも、心が病んで肉体が病んでくる場合と、肉体の管理自体が間違っているためにだんだん、肉体がおかしくなって、その結果、心までおかしくなると、こういう場合もあります。
それで、まず私は、心と肉体の関係ということの一般的な話を、もう一回したいと思うんですけれど。まず、これからあなた方、正法実践をして行きたいと思っている方々に対して、言いたいんですが、まず肉体の管理は、常識人として、ちゃんとやりなさい。適度の睡眠は大事です。適度の運動、これも大事です。適度の栄養、食事、大事です。これは最低限、守って頂きたいです。まず肉体が普通じゃなければ、抵抗力がつかないんです。だから地獄霊が、寄って来るという時は大抵肉体が弱っている時です。これに対しては、心掛けだけでは立ち打ちできない場合があります。
7.地獄霊は心力、体力の二刀流で跳ね返せる
生きてる人間は、やっぱり肉体の中にあって生活していますから、それで地獄霊は、どんな地獄霊が来ても、生きる人間は強いんです。はっきり言って。何故強いか、彼らには物理的な力がないんです。彼らは精神的な力を持ってます。ところが物理的な力はありません。これは生きてる人間は、光子体という精神的な力、プラス肉体という肉体に宿る力という物理的な力の両方を持っているんです。これの間を霊子線というものが結んで、緊密な関係になってますから、こっちは二匹なんです。二匹で一体なんです。向こうは一匹だから、一匹相手に二匹で戦うんだから、原則では勝てるんです。あんまり五体も十体位も入ってしまえば参ってしまいますが。普通は心の力と肉体の力の両方で跳ね返していけるんです。
これは、いわば宮本武蔵の二刀流です。長い剣と短い剣、大刀と小刀を持って、二刀流です。ところが相手は一刀流です。
宮本武蔵は、敵と戦う時に、いいですか、二乗寺下(さが)り松の決闘なんていって、吉岡一門を向こうにまわして、何十人、何百人と戦ってますが、武蔵は相手が、何十人でも何百人でも負けなかったんです。何故、負けないか、彼は常に一人を相手として戦おうとしたんです。だから二乗寺下り松で決闘する時も、よりによって彼は、回りが田植えの時期で、田ん圃、そして細い畦道がある所を選びました。そして畦道を逃げて来て、追い掛けて来る、相手は必ず前に居るのは一人です。前からというか、後に居るのは。常に一人を相手にしました。或いは壁なんか、壁なんかを背にして戦いました。そして坂道を登って行きながら戦う。
そのように、一人を相手にするように彼は考えていました。そして二刀流です。二刀流で一人を常に相手にすると、いつも勝ってるんですね、彼の理論から言えば。そういうことだったわけです。ところが二刀流でも、ぐるっと回りを囲まれちゃうと、これは勝てなくなってきちゃうんです。二本では防げなくて、どっから切られるかわからない。こういうことがあるんです。
普通の人間も、地獄霊の一体位なら何とか、心の力と肉体の力の二刀流で跳ね返していけるんです。ところが、肉体が終わっちゃうと一刀流になるんです。そうすると一刀流対一刀流で勝つこともあれば、負けることもある。或いは肉体が確(しっか)りしてても、心の方がおかしければこれも、一刀流対一刀流、負けることもある。ところが光子体というのは、例えばね大刀で、肉体というのは小刀なんですよ。ところが肉体の力だけでそういう、霊の力と戦おうとすると小太刀で、小太刀で大刀、大太刀と戦おうとするのと同じなんです。だから負けてきます。
そういうことで、心の力と肉体の力、これは宮本武蔵の二天流、二刀流みたいなものなんです。両方が噛み合わさって、初めて敵と戦えるんです。だからどちらも調和しておく必要があります。
ですから、生きてる人間、肉体を軽視しますけど、私もそうでしたけど、やっぱり結局のところ、肉体を軽視し過ぎたということです。ですから肉体を軽視し過ぎて、酷使してやると、いくら神理を読んで、エネルギーを入れたところで駄目です。これは治りません。やっぱりこの世の人間なんですから、この世には、この世の法則というものがあります。これを大事にして下さい。
8.現代サラリーマンと主婦族への警告
だから読者の皆さんにも、私が御注意申し上げたいのは、やはり健康管理です。これは大事です。特に現代サラリーマンは、不摂生から、自分の不養生から睡眠不足という結果を招いて、その結果、憑依されていることが非常に多いです。夜は夜で、毎晩、酒飲んで、また酒場なんていうのは、ロクな霊が居ないんです。高級霊は居ないんですよ。
酒場行って、あなた、高級霊は出てきません。そういう所に居るのは、もう大抵地上をフラフラしてる欲望の絶てない地獄霊です。そして、いいですか、睡眠不足のままそこへ行って、夜遊びして、酒を飲んで睡眠不足でだんだん、憑依されて行きます。そうすると、仕事がどうも上手くいかなくなって、いろんな人と衝突が起きてきます。仕事が駄目、仕事以外も駄目、だんだんノイローゼになっていって一家心中しちゃったり、おかしい判断をしちゃうわけです。
現代サラリーマンたちは、可哀相な面もあるんです。一つ目は通勤っていうことで、通勤地獄、ラッシュ地獄で、朝早く起きなきゃいけない。これは仕様がないですね。或いは、夜帰りが遅くなるまで、お付き合いがある。これは、言い訳もあるけれど、本当は切ろうと思えば切れるのに、自分が好きだから、どうしても付き合いで、なんて言い訳をしています。
ですから私は、現代のサラリーマンに言いたいんですが、できるだけ酒は毎日は止めましょう。やはり週三回か、節度を守りましょう。そして睡眠不足の折には、土、日でも結構だからしっかり睡眠をとって寝溜めをしましょう。そうしないと、やっぱり体力つけないとあの世の霊たちに勝てません。
それから、よくドラキュラの映画なんかでありますね。ドラキュラが恐いのは十字架と大蒜(にんにく)です。イエス様は恐いでしょ。もう一つは大蒜の本当の意味、これは大蒜を食べると、要するに精力がついちゃう。精力がつくと体力が余分についてくる。そうすると地獄霊たちがつけ込む隙がなくなると、これを象徴してるんです。大蒜をぶら下げたら、ドラキこフが逃げて帰るわけじゃないけれど。でも、地獄霊たちが一番つけ込むのは、何かというと体力が弱ってる時なんです。ですから、そういう時は強精剤がいいです。そういう滋養強壮の物、食べられると地獄霊も困っちゃうんです。ですから地獄霊には、赤蝮(あかまむし)が一番良く効くとか、これは冗談だけれど、ビタミンをちゃんと取って、やはり健康な肉体作りは大事です。
特にサラリーマンたちは、非常に危ないです。普通の姿でおっても、地獄霊にやられがちであるのに、そういうふうに不健康な生活してるために、ある意味ではこれは、社会の責任でもありますが。地獄霊に憑依され易い、時間帯、そういう仕事ですから。
また、一方はどうかというと、主婦族は主婦族で、これは暇を持て余したりして。これはまた、なんか遊びたくて仕様がなくて、主人帰って来ないもんだから、いろんな悪さしちゃったりして。土曜日じゃなくて、金曜日の妻かなんか知らないけど、主人は絶対、金曜日は帰って来ませんから、夕方からお化粧しちゃって、もう社交に出ちゃって、帰って来なくても分らないと思って帰って来なかったりしてます。
或いは、夫が単身赴任の場合です。滅多に帰って来ません。或いは夫は、単身で海外へ駐在中です。私は二年位一人です。こんな人は遊び放題しています。もう悪い事散々して「まあ、いいわ、子供さえできなければ。何したっていいわ。まあ人の子供産んだら夫にちょっと悪いかも知れないけど、それ以外何したって大丈夫だ。」なんてやってるわけです。こうして暇を持て余してる人は、持て余してる人でまた、悪いことして不調和作っています。
ですから、今見てるとサラリーマン社会は、男性は肉体的な疲れから、或いは商売のストレスから。女性は、不平不満から、窒息感から、また悪の道へと走ってるようです。
ですから私が、ご提案申し上げたいのは、まあこれは社会的問題でもありますけれど、男性にはできるだけ睡眠と健康の維持、これを計って頂きたいし、そういうことに配慮するのは、女性の配慮も必要です。御家庭の主婦、そういう方々も配慮して下さい。
9.新時代の神理伝道の旗手は女性である
それと女性の方々は、暇で困ってるもんだから、暇で困ってて悪いことばかりしないで、もっといいことに、頭を向けなければいけない、心を向けなければいけない。
朝日カルチャーセンターに行ってるようでは能がないです。朝カル行って、あなた俳句かなんか書いて、添削してもらってるだけが能じゃないんです。主婦族たち、今時間持て余して悪いことばっかりやったり、相談してるんです。ですから、これからの、私は主婦族、暇な方々に言いたいです。
あなた方こそ、いいですか、新しい時代の神理伝道の旗手となるのは、正(まさ)しくあなた方なんです。今までは、男がいつも主役でした。男たちが主役でした。その頃には、神理伝道というと、それだけを専心にするような男たちがありました。仏陀の時代にはみんな沙門になって、ソロモンになって、サロモンになって、仏教修行を何千人もの人がやっていました。
ところが今の時代では、そういうことはなかなかできません。出家すると母ちゃん、子供が飢え死にしてしまいます。だからできません。男たちは一日のうち十時間、十二時間、拘束されています。ですから神理伝道の担い手として非常に弱い力しか持っていません。土・日に働こうとしても、土・日は睡眠不足で寝溜めをしないと体が持ちません。
ところが、お母ちゃんたちは、朝カルかなんか知らんけど、そんな所へ行って、要するに時間を潰してます。金を払ってまでそんな暇があったら、私は朝日が嫌いなわけじゃないんですよ、読売も嫌いなわけじゃないんです。そういうんじゃなくて、そんな暇があったら、奥様方、あなた方こそ、今の時代、今後の神理の伝道の担い手だということ、これを悟って頂きたいと思います。ですから暇なうちに、まあ原稿の清書してあげたり、それから神理のパンフレッ卜配ってあげるなり、人伝に伝えてあげるなり、電話を掛けるなり、そうして神理伝道の媒体となるのはこれからは主として女性です。いいですか、それを忘れないで欲しいと思います。
今日の「心と肉体の関係」ということは、概要は以上のようなことです。